大命神社の笹囃子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 00:47 UTC 版)
ウィキソースに大命神社の笹囃子の原文があります。 大命神社(おうめい神社)は、平安中期の聖観世音菩薩像を御神体とし、もとは慈観寺の鎮守とされた。1716年の冬に建立、遷宮し、祭神に用明天皇こと橘豊日命を祀る。 例祭・加悦谷祭では合同祭礼を行う4社に含まれ、石川区で唯一、大命神社氏子によって伝承され、与謝野町指定無形民俗文化財となっている「笹囃子」は、奉納芸能の最後を飾る。古くは宮座によって執り行われた神事で、やがて氏子の男児3人が担当するようになった。現在は物忌みなどは行われていないが、古くは舞人は神意によって選ばれ、選出された少年達は数日間の潔斎で身を清めて舞に臨んだと伝わる。 氏子によれば「花踊」とも称し、3人の氏子の男児が舞を担い、大人は唄人を務める。唄人の人数は、とくに定められていない。舞人は、牡丹の花飾りのついたデンチ形の胴着をまとった中立の男児をシンポチを称し、黒紋付に白襷をかけた男児2人が、腹の前に結びつけた太鼓を色紙で飾った竹の撥で打ち鳴らし、囃子を務める。 演目は5種あり、「花の踊り」「巡礼踊り」「笠の踊り」「船頭おどり」「瀬田の踊り」と称される。このうち、「笠の踊り」「船頭おどり」「瀬田の踊り」は踊りの難易度が高いために昭和初期には舞が途絶えており、現在は「花の踊り」「巡礼踊り」のみ披露される。この「花の踊り」「巡礼踊り」も、意味が通じ、かつ、踊りのリズムに合うように、近年、原本がわずかながらアレンジされた。 祭では、はじめに祭当番の家で踊り、集落の主だった6軒ほどの家で舞った後、4社合同祭礼を行う石川区の事務所で神楽、太刀振りとともに奉納舞を舞う。その後、物部神社で奉納し、大宮神社まで練り歩いて社前の舞台で神楽、太刀振りとともに奉納する。かつては本祭1日のみで行われたが、現在は宵宮と本宮の2日にわけて行われている。 大命神社の例祭の祭礼後には、笹囃子にあわせて、太刀振りの子ども達が「かかえ」「ばらばら」「片手」「かんぬきの太刀」などを振り舞ったとも伝えられる。 上地地区が1979年(昭和54年)に「ささばやし踊り保存会」を発足したのを皮切りに、各地区で氏子を中心に文化財としての保存と継承に勤める。 ウィキメディア・コモンズには、大命神社(石川区上地)に関するカテゴリがあります。
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