大口供給の動向:1920年代
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「矢作水力」の記事における「大口供給の動向:1920年代」の解説
矢作水力は電力会社ではあるが小口供給に重きを置かず、他の電気事業者や大口需要家に対する電力供給を事業の主体とした。 最初の大口需要家は、電気事業者では名古屋電灯(大同電力経由)・豊橋電気・早川電力の3事業者、工場では日清紡績岡崎工場ほか2工場で、いずれも矢作川水系下村発電所の竣工後に供給を始めた。契約高は名古屋電灯1,200kW・豊橋電気500kW・早川電力750kW・日清紡績700kWである。1921年4月からは岡崎電灯に対し620kWの供給も開始している。当時岡崎電灯は需要増加に対して供給力増強が追い付かない状態にあり、矢作水力から不利な条件での受電契約を余儀なくされた。 以降も矢作川開発の進展につれて供給先・供給電力ともに増加していった。その中でも大口需要家となったのが名古屋電灯・豊橋電気を合併した東邦電力である。同社との供給契約は押山発電所完成を機に3,700kWへと増加、次いで1924年(大正13年)2月6,500kWの契約となり、1926年(大正15年)5月より倍増となる13,000kWの送電を始めた。また岡崎電灯への供給も1,120kWに増加ののち1923年4月の真弓発電所完成後に2,120kWへと増加した。しかし岡崎電灯への供給は1926年5月より一旦終了、11月から復活するが500kWに抑えられた。この当時、岡崎電灯では1924年に大浜火力発電所が完成したことで発電力に余力が生じていた。その後岡崎電灯への500kW供給は契約期間が満了する1929年(昭和4年)11月まで続いた。 押山発電所完成後の新規需要家の一つに電気鉄道と供給事業を兼営する愛知電気鉄道(後の名古屋鉄道)がある。同社への供給は250kWで始まり、徐々に増加して1928年(昭和3年)12月より1,200kWの供給となっている。工場への供給は対日清紡績が拡大、岡崎工場のほか名古屋工場も供給先に加わって1927年より計2,850kWの供給契約となった。また1924年3月には供給区域外ながら刈谷町に刈谷変電所を建設して豊田紡織(現・トヨタ紡織)への供給を始めた。豊田紡織への供給契約は1,300kWで、1928年より契約全量の送電となっている。翌1929年からは同じ刈谷の豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)に対する600kWの供給も開始した。
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