大口供給の動向:1920年代とは? わかりやすく解説

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大口供給の動向:1920年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:36 UTC 版)

矢作水力」の記事における「大口供給の動向:1920年代」の解説

矢作水力電力会社ではあるが小口供給重き置かず、他の電気事業者大口需要家対す電力供給事業主体とした。 最初大口需要家は、電気事業者では名古屋電灯大同電力経由)・豊橋電気早川電力の3事業者工場では日清紡績岡崎工場ほか2工場で、いずれも矢作川水系下村発電所竣工後に供給始めた契約高は名古屋電灯1,200kW・豊橋電気500kW・早川電力750kW・日清紡績700kWである。1921年4月からは岡崎電灯対し620kWの供給開始している。当時岡崎電灯需要増加に対して供給力増強追い付かない状態にあり、矢作水力から不利な条件での受電契約余儀なくされた。 以降矢作川開発の進展につれて供給先供給電力ともに増加していった。その中で大口需要家となったのが名古屋電灯豊橋電気合併した東邦電力である。同社との供給契約押山発電所完成機に3,700kWへと増加次いで1924年大正13年2月6,500kWの契約となり、1926年大正15年5月より倍増となる13,000kWの送電始めた。また岡崎電灯への供給も1,120kWに増加ののち1923年4月真弓発電所完成後に2,120kWへと増加した。しかし岡崎電灯への供給1926年5月より一旦終了11月から復活するが500kWに抑えられた。この当時岡崎電灯では1924年大浜火力発電所完成したことで発電力に余力生じていた。その後岡崎電灯への500kW供給契約期間満了する1929年昭和4年11月まで続いた押山発電所完成後の新規需要家一つ電気鉄道供給事業兼営する愛知電気鉄道(後の名古屋鉄道)がある。同社への供給は250kWで始まり徐々に増加して1928年昭和3年12月より1,200kWの供給となっている。工場への供給対日紡績拡大岡崎工場のほか名古屋工場供給先加わって1927年より計2,850kWの供給契約となった。また1924年3月には供給区域外ながら刈谷町刈谷変電所建設して豊田紡織(現・トヨタ紡織)への供給始めた豊田紡織への供給契約は1,300kWで、1928年より契約全量送電となっている。翌1929年からは同じ刈谷豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)に対する600kWの供給開始した

※この「大口供給の動向:1920年代」の解説は、「矢作水力」の解説の一部です。
「大口供給の動向:1920年代」を含む「矢作水力」の記事については、「矢作水力」の概要を参照ください。

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