大井川における河川環境改善
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 20:21 UTC 版)
「ダムと環境」の記事における「大井川における河川環境改善」の解説
詳細は「大井川」、「田代ダム」、および「塩郷ダム」を参照 発電ダムの取水によって河川環境が損なわれる例は信濃川や熊野川等で見られたが、特に有名なのは大井川水系である。 1928年(昭和3年)に東京電力(当時は東京電燈)が富士川水系への分水を目的に田代ダムを建設。戦後に入ると1950年代に中部電力によって畑薙第一ダム・畑薙第二ダム・井川ダム・奥泉ダム・大井川ダム・塩郷ダムが本川に相次いで建設、支流の寸又川・笹間川等にも発電用ダムが建設され、これらのダムから一斉に発電用水が取水された事からかつては『箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川』とまで形容された急流・大井川の水量は激減。塩郷ダム下流では完全に水流が途絶し、さながら「賽の河原」状態となった。1975年(昭和50年)より静岡県は大井川の正常な流水復活を河川管理者である建設省中部地方建設局(現・国土交通省中部地方整備局)の仲介で中部電力・東京電力へ要請したが、取水量の減少は売り上げ減少に直結するために両電力会社は拒絶した。流域住民は大井川の清流復活を求め1987年(昭和62年)に塩郷ダム直下流で中部電力に示威行動を行う等強硬に流水の復活を求めた。 こうしたことを背景に県は再度中部電力と交渉、遂に同年4月塩郷・大井川両ダムと寸又川流域のダムからの河川維持放流に同意。1990年(平成2年)には塩郷ダムの河川維持放流を特に農繁期に増量することで合意した。この間建設省によって接岨峡下流に特定多目的ダムである長島ダムの建設が進められ、2001年(平成13年)に完成し河川維持放流も強化された。 最後に残った東京電力との交渉は容易に妥結しなかったが、1997年の河川法改正で河川環境保持が目的の一つに挙げられ、周囲の状況から環境保護重視の方向に向かわざるを得ず、東京電力も遂に2005年(平成17年)11月に県の要求する放流量に近い維持用水放流を田代ダムから行うことで合意した。中部電力・東京電力の両電力会社からすれば営業収入的には大損害であるが、環境保護と地元住民の理解無しでは企業イメージの下落など今後の円滑な事業遂行も困難になるとの判断によるものであった。こうした動きは全国各地の電力会社でも起こっている。
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