大久保線
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「遠州鉄道舘山寺営業所」の記事における「大久保線」の解説
37:浜松駅 - 尾張町 - 市役所南 - 富塚 - 神ヶ谷 - 大久保 - 田端住宅 - つるが丘団地 - 山崎 2010年頃より舘山寺営業所の車両が大久保線を担当するシーンが見られる。2015年まで管轄路線図に掲載されていなかった。 詳細は「遠州鉄道雄踏営業所#大久保線」を参照
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大久保線
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121:江古田二丁目(丸山) - 新井薬師駅 - 東中野駅 - 大久保駅 - 余丁町 - 東京女子医大 - 市ヶ谷自衛隊前 - 市ヶ谷駅 - 九段下 - 淡路町 - 東京駅丸の内北口(都営バス練馬営業所→小滝橋営業所・関東バス丸山営業所と共同運行) 1950年(昭和25年)、都営・関東乗合との3社局共同運行で開設。都電第6次撤去と同時の1971年(昭和46年)3月17日限りで関東バスと西武が撤退して都営単独の24系統(東京駅 - 大久保駅)に変更となった。 詳細は「都営バス小滝橋営業所#東71→高71系統」および「関東バス丸山営業所#新東線」を参照
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大久保線
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(120→)橋63:下田橋 - 中野駅南口 - 東中野二丁目 - 大久保駅 - 国立医療センター - 牛込北町 - 市谷見附 - 国会議事堂 - 新橋駅 都営バス小滝橋営業所と共同運行。都営バスと京王帝都電鉄の共同運行による新橋駅発着、山手線東側直通路線の第3弾として、1950年(昭和25年)3月に開通。 東京都交通局第2次再建計画に伴う追加の路線再編成により、1979年(昭和54年)11月23日付で橋63と中63に分断。京王は国立医療センター以東の都営エリアへ乗り入れなくなると同時に、千代田区、港区から撤退した。ほぼ山手線(新大久保駅 - 新橋駅)内のみ(小滝橋車庫 - 新大久保駅は外側)の運行となった橋63系統は、都営単独で現在まで継続されている。その後、2021年10月1日に永福町営業所が052系統を新設したため、京王バスによる新橋駅への乗り入れがおよそ40年ぶりに復活した。 詳細は「都営バス小滝橋営業所#橋63系統」を参照 中63:下田橋 - 中野駅南口 - 東中野二丁目 - 大久保駅 - 国立医療センター 都営バス練馬営業所(現・練馬支所)と共同運行。交通局第2次再建計画に伴う追加の路線再編成で橋63系統が分割された際に、大久保駅以西を都営と京王帝都の共同運行で存続させた路線。都営側の所管が小滝橋から練馬に変更となった。 しかし分断により都心まで直通しなくなったこと、国電中野駅南口の京王バスと北口の関東バスの両方のターミナルに乗り入れなかったこと、中野駅以北において練馬線や関東バスの中村橋線・茂呂線といった併走系統と歩調を合わせたダイヤが組まれないなど、デメリットが多く乗客数は伸びなかった。結局は練馬線に統合される形となり、1988年(昭和63年)10月15日限りで廃止。中野駅以北は練馬線、中野駅と大久保駅の間は関東バスの宿05系統・野方線でそれぞれ代替されている。 詳細は「都営バス練馬支所#中63系統」および「関東バス阿佐谷営業所#野方線」を参照
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