大丸の出店構想
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事業コンペなどの経緯から「商業施設にすることが筋」と浜松市に注文をつけられたことにより再度大手百貨店の誘致に乗り出す。 2006年(平成18年)5月、大丸とアサヒ社が出店に向けて水面下で調整していることが判明した。同年7月31日、アサヒ社、浜松市、大丸の3者による本格的な協議に入ったことが明らかになった。大丸側の意向により、新館も取り壊して単館の百貨店を建設する計画となるなど、事業計画には変更が加えられた。 大丸と松坂屋との経営統合が決まった後の2007年(平成19年)3月15日の記者会見において、大丸会長の奥田務は、大丸に代わって松坂屋が浜松に出店する可能性に含みをもたせる発言を行ったが、2007年(平成19年)6月11日には、出店した場合の店舗名について、松坂屋ではなく大丸とすることを決定した。 2007年(平成19年)7月24日、アサヒ社、大丸、浜松市の三者が、「大丸浜松店(仮称)」出店で基本合意した。2010年(平成22年)11月開店を目指し、地下4階地上9階(地下2階 - 4階:駐車場、地下1階 - 地上9階:営業階)、延床面積約67,400m2、営業面積34,000m2の県内最大規模の百貨店とする計画で、初年度売上は250億円が見込まれていた。 しかし、その後の調査で大量の地下水による難工事が予測されたことにより、開店日は2011年(平成23年)11月に延期された。2008年(平成20年)9月にはついに三者合意が白紙になった。これを踏まえ、 鈴木康友浜松市長は市議会の答弁で一部地権者が出店に合意していないことを初めて公式に認めた。 その後、リーマンショックに端を発する急激な景気の悪化のため、百貨店業界は大幅な売上減に苦しみ、また市内経済が輸出型製造業に大きく依存する浜松市内は雇用、経営不安が起こるなど深刻な不況に陥った。その中、2009年(平成21年)1月26日に遂に大丸は出店を断念し、計画は完全に白紙に戻された。
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