大まかな概要とは? わかりやすく解説

大まかな概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 21:41 UTC 版)

ローマ軍」の記事における「大まかな概要」の解説

ローマ陸軍は、時代によっても異なるが、ローマ市民権を持つ者からなるレギオー(legio、ローマ軍団)およびローマ市民権持たない者からなるアウクシリアauxilia支援軍)に大別することができる。レギオー軍団)は陸軍編成単位でもあり、個々軍団支援軍が付随して戦闘行なった編成単位としての1個のレギオー10個のコホルス(cohors、歩兵大隊)に、1個のコホルスは3個のマニプルスmanipulus歩兵中隊)に、1個のマニプルスは2個のケントゥリアcenturia百人隊)によって構成されていた。すなわち1個のレギオー軍団)は、60個のケントゥリア百人隊)からなっていた。従って計算上は6,000名の軍団兵がいたことになるが、実際定員割れ起こしていることも多かったという。 共和政時代ローマ陸軍は、本土イタリアでコンスル執政官)とプラエトル法務官)が、属州では属州総督プロコンスルやプロプラエトル)がおもに全軍指揮権インペリウム)を握った個々軍団については、ガイウス・マリウスの軍制改革以降は、レガトゥス副官のうちかレガトゥス・レギオニス軍団長)を任命して指揮させることが多かった各軍団の運用については、さらに各6名のトリブヌス・ミリトゥム兵士長)によって補佐された。 帝政時代になり、国境ある程度画定してくると、防衛主な目的になったローマ国境ケルト人ゲルマン人ならびにパルティア侵攻頻度からライン川ドナウ川ユーフラテス川主眼置かれるようになり、これらに駐屯する軍団精鋭として名を馳せたまた、彼らの駐屯地それぞれが「ミニ・ローマ」とも言うべき画一的施設・設備有していたため、特にライン・ドナウ沿いに位置する現在のヨーロッパ都市ローマ軍駐屯地起源としているものが少なくない

※この「大まかな概要」の解説は、「ローマ軍」の解説の一部です。
「大まかな概要」を含む「ローマ軍」の記事については、「ローマ軍」の概要を参照ください。

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