外務省 (ドイツ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/26 06:10 UTC 版)
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外務省 Auswärtiges Amt(AA) |
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ベルリン本庁舎の入り口
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役職 | |
外務大臣 | アンナレーナ・ベアボック |
ヨーロッパ担当補佐官 | アンナ・リューマン |
国務担当補佐官 | カティヤ・クール トビアス・リンドナー |
組織 | |
概要 | |
所在地 | 10117 ベルリン市ミッテ区ヴェルターシャー・マルクト1番地北緯52度30分53秒 東経13度23分58秒 / 北緯52.51472度 東経13.39944度座標: 北緯52度30分53秒 東経13度23分58秒 / 北緯52.51472度 東経13.39944度 |
定員 | 在外 1万1652人 国内 5622人[1] |
年間予算 | 63億200万ユーロ[2](2021年度) |
設置 | 1870年1月12日 現在の体制:1951年 (現在の体制) |
ウェブサイト | |
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外務省(がいむしょう、 Auswärtiges Amt 、略称はAA)は、ドイツ連邦共和国の中央省庁。外交と欧州連合との関係を担当する。2021年12月発足のショルツ内閣の外務大臣はアンナレーナ・ベアボック。日本語では便宜上「ドイツ外務省」とも表記する。
概要
現在のドイツ外務省は、1870年設立の北ドイツ連邦外務省及びドイツ統一後の翌1871年にそれを引き継いで設けたドイツ帝国外務省に起源を持つ。帝国成立直後は、外交家としても辣腕を揮った(ふるった)鉄血宰相ビスマルクによって指導され、外務省内には、政務・経済局と法務・領事局が設置されていた。
第一次世界大戦後に発足したワイマール共和国では、外務省官制も再編成され、より近代的な官僚制に移行した。1933年のナチス政権成立直後は、従来からの外務省及びヒトラーの外交顧問であったヨアヒム・フォン・リッベントロップの個人事務所である「リッベントロップ事務所」による「二元外交」が一時出現したが、1938年にはリッベントロップが外相に就任し、形式的には外務省に外交が一元化された。
第二次世界大戦後のドイツ東西分裂により、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)では1951年3月15日にボンに外務省を設置した。ドイツ再統一がなると、1999年にベルリンの旧ドイツ社会主義統一党本部ビル(旧ドイツ帝国銀行本店)に中央機能を遷し、現在に至っている。
在外公館
ドイツ外務省は、ベルリンに本庁舎を設置するとともに、世界各国に大使館、領事館、その他外交代表部など計226ヶ所の在外公館を設置している。また、無報酬の名誉領事(現在354人)を任命し、親善に努めている[要出典]。
歴代外務大臣
外務大臣(1951年以降)の一覧
凡例 所属政党: キリスト教民主同盟(CDU) ドイツ社会民主党(SPD) 自由民主党(FDP) 同盟90/緑の党(Grünen)
氏名 | 肖像 | 所属政党 | 在任期間 | 首相 (内閣) |
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コンラート・アデナウアー | ![]() |
CDU | 1951年3月15日 | 1955年6月6日 | 第1次・第2次アデナウアー内閣 | |
ハインリヒ・フォン・ブレンターノ | ![]() |
CDU | 1955年6月6日 | 1961年10月30日 | 第2次・第3次アデナウアー内閣 | |
ゲアハルト・シュレーダー | ![]() |
CDU | 1961年11月14日 | 1966年11月30日 | 第3次・第4次アデナウアー内閣 第1次・第2次エアハルト内閣 |
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ヴィリー・ブラント | ![]() |
SPD | 1966年12月1日 | 1969年10月20日 | キージンガ―内閣 | |
ヴァルター・シェール | ![]() |
FDP | 1969年10月21日 | 1974年5月15日 | 第1次・第2次ブラント内閣 | |
ハンス=ディートリヒ・ゲンシャー | ![]() |
FDP | 1974年5月17日 | 1982年9月17日 | 第1次・第2次・第3次シュミット内閣 | |
ヘルムート・シュミット | ![]() |
SPD | 1982年9月17日 | 1982年10月4日 | 第3次シュミット内閣 | |
ハンス=ディートリヒ・ゲンシャー | ![]() |
FDP | 1982年10月4日 | 1992年5月17日 | 第1次・第2次・第3次・第4次コール内閣 | |
クラウス・キンケル | ![]() |
FDP | 1992年5月18日 | 1998年10月26日 | 第4次・第5次コール内閣 | |
ヨシュカ・フィッシャー | ![]() |
Grünen | 1998年10月27日 | 2005年11月22日 | 第1次・第2次シュレーダー内閣 | |
フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー | ![]() |
SPD | 2005年11月22日 | 2009年10月28日 | 第1次メルケル内閣 | |
ギド・ヴェスターヴェレ | ![]() |
FDP | 2009年10月28日 | 2013年12月17日 | 第2次メルケル内閣 | |
フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー | ![]() |
SPD | 2013年12月17日 | 2017年1月27日 | 第3次メルケル内閣 | |
ジグマール・ガブリエル | ![]() |
SPD | 2017年1月27日 | 2018年3月14日 | ||
ハイコ・マース | ![]() |
SPD | 2018年3月14日 | 2021年12月8日 | 第4次メルケル内閣 | |
アンナレーナ・ベアボック | ![]() |
Grünen | 2021年12月8日[3] | ショルツ内閣 |
脚注
注釈
出典
- ^ “Staff” (英語). www.auswaertiges-amt.de. 2024年6月10日閲覧。
- ^ “Bundeshaushalt [連邦予算]” (ドイツ語). www.bundeshaushalt.de (2021年5月10日). 2024年6月10日閲覧。
- ^ “アナレーナ・ベアボック外務大臣—略歴”. japan.diplo.de. ドイツへようこそ > ドイツと日本 > 外務大臣 > 略歴. ドイツ連邦共和国大使館・総領事館. 2024年11月26日閲覧。
関連項目
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日本関係の公館
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外部リンク
「外務省 (ドイツ)」の例文・使い方・用例・文例
- 外務省
- この会議は外務省によって開催される。
- 私の父は外務省に勤めている。
- その会は外務省の後援で開かれた。
- 外務省.
- 外交官になる, 外務省に勤める.
- 田中外務次官はイラク大使を外務省に呼んで, 抗議書を手交した.
- 彼は外務省の役人だ.
- 外務省告示
- 外務省という機関
- 外国におかれている外務省の出先機関
- 外務省という,外交に関することを扱う行政機関の建物
- 外交青書という,外務省の年次報告書
- 初めは彼の秘書,それから,外交に対して強い影響力を行使する手助けをした外務省の幹部。
- しかし,日本では,中国に対してだけではなく,日本の外務省やシェンヤンの日本総領事館に対しても,批判が高まっている。
- 「娘が死亡したなんて信じることができない。もしそれが本当なら,すべてが知りたい。12年前に問題が明らかになったのに,外務省は何をしていたのか。」
- 外務省アジア大洋州局の藪(やぶ)中(なか)三(み)十(と)二(じ)局長は,「まだ疑わしい点や不明な点が多く残っている。資料や協議内容の信ぴょう性を詳しく調べる必要がある。」と述べた。
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