変光の研究史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 11:18 UTC 版)
「ぎょしゃ座イプシロン星」の記事における「変光の研究史」の解説
1821年にクヴェードリンブルクに住むヨハン・ハインリヒ・フリッチュ(ドイツ語版)牧師により減光が報告されたが、当時はその報告が注目されることはなかった。ポツダム天体物理天文台の所長ヘルマン・カール・フォーゲルは、1900年春から1年間にかけて同天文台のヨハネス・ハルトマンとエバーハートが撮影したスペクトル写真から、この星が分光連星である可能性に気付いた。フォーゲルから過去の観測記録を精査するよう指示を受けた同天文台のハンス・ルーデンドルフは、フリッチュ牧師の記録した1820~21年の他に、1847~1848年、1874~75年、1901~02年にそれぞれ数百日間にわたって0.5等以上減光していたことを発見した。結論として、ぎょしゃ座ε星は約9884日(約27.1年)周期で変光する食変光星であることが明らかになった。 ところが、ぎょしゃ座ε星の変光は変光周期が極めて長い上に、食の期間が約2年間続くという点で、当時知られていた他の食変光星と比べて極めて異質であった。この星の変光は、減光の期間が約半年、通常よりも0.8等減光(光度は約2分の1となる)している食甚期間が約1年間継続し、そして復光の期間が約半年続く。つまり、減光と復光の期間が1とすれば食甚の期間は2となる。主星の光度が2分の1になるのだから、仮に伴星が全く光を発しないとしても主星の面積の半分を隠さなければならない。しかし主星の半分以上の大きさの伴星が主星を隠すのであれば、減光と復光の期間がもっと長くなるはずであり、減光・復光と食甚の期間の比率が1:2になるという事実に説明がつかない。つまり普通の食変光星のモデルではぎょしゃ座ε星の変光を説明することは不可能であった。 食の期間が約2年間に及ぶこと、ぎょしゃ座ε星自体が遠い距離にある星であることなどから、伴星は極めて大きな天体であることが想定された。しかし、分光観測でも食の前後と食の最中でスペクトル型にほとんど変化が見られず、その正体がつかめなかった。もし伴星が主星の前を横切らない角度に地球が位置すれば、ぎょしゃ座ε星は単にスペクトル型A8の超巨星とされていたであろう。 やがて伴星に対する主星の動きから伴星の質量が計算された。伴星の質量は主星ほどではないが極めて大きく、主星が太陽の質量の15~20倍程度、そして伴星も10倍程度はあるとされた。これほどの質量を持つ天体が見えないという事実をどう説明するかという難問も持ち上がった。
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