ヨハネス・ハルトマンとは? わかりやすく解説

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ヨハネス・ハルトマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 03:11 UTC 版)

ヨハネス・ハルトマン(1915年頃)

ヨハネス・フランツ・ハルトマン(Johannes Franz Hartmann、アルゼンチン名:ホアン・アルトマン Juan Hartmann1865年1月11日 - 1936年9月13日)は、ドイツ出身の天文学者

経歴

エアフルトに生まれた。テュービンゲンベルリンライプツィヒで学び1891年に博士号を得た。1893年にクフナー天文台の助手となり、1894年にライプツィヒに戻り、1896年からポツダム天体物理天文台に勤務、1902年に教授となった。主に恒星分光学的研究を行い、1904年に連星であるオリオン座δ星ドップラー効果の観測中にカルシウムの静止線を観測し、星間物質の存在を示した。1909年から1921年までゲッティンゲン大学の教授と、天文台長を務めた。1921年からはよりよい観測条件を求めてアルゼンチンに渡り、ラプラタ天文台の所長を務めた。1934年にゲッティンゲンに戻り2年後に没した。

ハルトマンが発見した小惑星
965 アンゲリカ 1921年11月4日
1029 ラプラタ 1924年4月28日
1254 エルフォルディア 1932年5月10日

アルゼンチンで3個の小惑星を発見した[1]。アンゲリカは彼の妻の名、エルフォルディアは彼の生地エアフルトのラテン語名に由来する。

の裏側にあるハルトマン・クレーターは彼に因んで命名された。小惑星 (3341) ハルトマンも彼の名前にちなんでいる[2]

関連項目

脚注

  1. ^ Minor Planet Discoverers”. MPC. 2021年7月24日閲覧。
  2. ^ (3341) Hartmann = 1980 OD = 1980 RE3”. MPC. 2021年7月24日閲覧。

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