チャールズ・パーライン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/11 05:29 UTC 版)
チャールズ・ディロン・パーライン(Charles Dillon Perrine、1867年7月28日 – 1951年6月21日)は、アメリカ生まれで、アルゼンチンで活躍した天文学者。
オハイオ州に生まれた。1893年から1909年までリック天文台で働いた。1909年から1936年まで国立アルゼンチン天文台(現在の Observatorio Astronómico de Córdoba)で働いた。
1901年にジョージ・リッチーとともにペルセウス座の1901年の新星のまわりの星雲の“見かけの速度”が光速を大きく超えて観測される超光速運動を観測した。
1904年にヒマリア、1905年にエララの2つの木星の衛星を発見した。これらの衛星は"Jupiter VI" 、"Jupiter VII"呼ばれ、名前が付けられたのは1975年になってからである。
18D/パーライン-ムルコス周期彗星はじめいくつかの彗星の共同発見者となった。アントニーン・ムルコスは小惑星(6779)を、Perrineと命名した[1]。
アルゼンチンの天文学研究を組織し、大望遠鏡 (Bosque Alegre telescope)の建設を推進したが、大望遠鏡の完成はパーラインの引退後の1942年になった。1936年の引退後もアルゼンチンに留まり、アルゼンチンのes:Villa General Mitre で没した。アルゼンチンのコルドバに葬られた。
関連項目
脚注
- ^ “(6779) Perrine = 1973 EH = 1990 DM1”. MPC. 2021年8月26日閲覧。
固有名詞の分類
天文学者 | ピエール・シャルル・ルモニエ ジェームズ・チャリス チャールズ・パーライン マーティン・ライル ジョン・クーチ・アダムズ |
アメリカ合衆国の天文学者 | エリザベス・レーマー ジョージ・フィリップス・ボンド チャールズ・パーライン セシリア・ペイン=ガポーシュキン フランク・ドレイク |
彗星発見者 | ジョヴァンニ・バッティスタ・ドナティ ズデニカ・ヴァーヴロヴァー チャールズ・パーライン 小林隆男 セルゲイ・ベリャフスキー |
アルゼンチンの天文学者 | チャールズ・パーライン ホルヘ・ボボネ ヨハネス・ハルトマン ペドロ・エリアス・ザドゥナイスキー |
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