地形と名称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 08:09 UTC 版)
全ての座標を示した地図 - OSM全座標を出力 - KML 表示 泉ヶ岳は、奥羽山脈の船形山山系の中で最後に形成された錐状火山である。造山時期は第四紀と考えられ、噴出した安山岩により芳の平(北緯38度23分8.1秒 東経140度43分20秒 / 北緯38.385583度 東経140.72222度 / 38.385583; 140.72222 (芳の平))から山頂まで大きく3つの段状の地形を呈している。兎平(北緯38度23分57秒 東経140度42分57.8秒 / 北緯38.39917度 東経140.716056度 / 38.39917; 140.716056 (兎平))付近は玄武岩質の溶岩により形成された。兎平の様に「〜平」とついているところは、見晴らしがいい場所が多い。 豊富な湧水(泉)が、池や川をつくりだすことが泉ヶ岳の名称の由来とされている。泉ヶ岳から流れるヒザ川は七北田川の源流の一つとなっている。山の周囲には七北田ダムや大倉ダムなど複数のダムがあり、泉ヶ岳は仙台平野を潤す水源の一つとなっている。また、泉ヶ岳は周囲の北泉ヶ岳や蘭山、高倉山、黒鼻山、これらの裾野も含めた通称の地域名ともなっている。特に、泉ヶ岳山頂から南東方向で、北は蘭山から南は七北田ダム辺りまでの七北田川流域の裾野を含めた地域が「泉ヶ岳」と呼ばれる。若者の間では「ガタケ」と呼ばれる。周辺の住所表記は泉区福岡字岳山である。 古文書においては、この山は様々な名称で記されてきた。1719年(享保4年)の『奥羽観蹟聞老志』では「和泉嶽」「泉嶺」「嶺白石嶽」、1741年(寛保元年)の『封内名蹟志』では「泉ヶ嶽」「和泉ヶ嶽」、『封内風土記』では「泉力嶽」「泉岳」とある。明治時代においても、新聞や地名辞典、出版物において「根の白石嶽」「泉ヶ嶽」「泉嶽」「白石嶽」「旭嶽」などとされ、その表記は一定しなかった。また、麓の村人達はこの山を「岳山(だけやま)」と親しみを込めて呼んだという。もっとも、仙台藩領内では高山や深山を指して一般的に岳山と呼んだようである。泉ヶ岳を有した歴代の自治体には、泉嶽村、泉市、泉区など、この山に因んで名称が付けられた。
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