地形とその形成史とは? わかりやすく解説

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地形とその形成史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 09:47 UTC 版)

上北平野」の記事における「地形とその形成史」の解説

平野構成する海成段丘の中では、野辺地町中心部の東、東北町中央部広がる標高140メートルから100メートル段丘がもっと高く古く地質学では袋町面と呼ぶ。現在では浸食進んで低い丘陵地になっており、針葉樹林おおわれている。 次の七百(しちひゃく)面と天狗岱(てんぐたい)面は、それぞれ南北分かれて分布する七百面は標高100メートルから60メートル天狗岱面は標高60メートルから40メートルである。北は小川原湖西方にある東北町北部占める。南は奥入瀬川より北の六戸町おいらせ町西部である。いくらか浸食進んだ台地で、浸食進まない平坦面は畑、小さな谷に刻まれ傾斜が多いところではになっている上述台地数十万年前の第四紀更新世作られたものだが、西に隣りあう十和田市とその北の七戸町台地は、数万年前噴火した十和田火山火砕流由来する堆積物覆われている。七戸町東部から十和田市北東部まで広がる七戸面が約2万5千年前、十和田市南東部十和田面が約1万3千年前に作られた。 いちばん低く新しい段丘が、高館(たかだて)面で、標高45メートルから10メートル分布する海岸にそって南北広がり小川原湖の南では西に13キロメートル上内陸に入る。三沢市おいらせ町東部東北町南部この段丘にある。七百面と天狗岱面を南北分断するのは、この面である。約10万年前より後にできた。あまり浸食進まず、広い平地水田や畑として利用されている。三沢市市街地飛行場この面の上にある。 太平洋岸はほとんどが砂浜で海岸線から数百メートル内陸に高さ10メートルになる斜面があり、その上高館面の台地である。 上北平野海進きわだった時代には海の底にあり、海成段丘はそうした時代形成された。陸化が進んだ時代には、川が谷を刻み広げた中間的な状況で今の平野内湾になったり、デルタになっていた時代もある。平野の北にある小川原湖は、陸化が進んだ時代高瀬川の谷だったところで、海進によって湾になり、南側から発達した砂嘴のせいで海と切り離され、湖になった海水面の上下と別に上北平野全体として隆起続けてきた。古い段丘の標高が高いのはそのせいである。推定され隆起速度は年平均最大0.3ミリメートル、あるいは0.15、0.16ミリメートルとも言われる

※この「地形とその形成史」の解説は、「上北平野」の解説の一部です。
「地形とその形成史」を含む「上北平野」の記事については、「上北平野」の概要を参照ください。

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