地形と周辺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 00:27 UTC 版)
「狐塚古墳 (世田谷区)」の記事における「地形と周辺」の解説
世田谷区の地形は起伏が多く、武蔵野台地と多摩川沿いの沖積低地にまたがっている。武蔵野台地は古多摩川が形成した扇状地にあたり、富士山や箱根火山などの噴火による火山灰が厚く堆積している。台地のほとんどの部分は多摩川の浸食に由来する武蔵野面が占めるが、その東端には淀橋台と荏原台(いずれも下末吉面に相当する)という海成の高位段丘が2か所島状となって残されている。 世田谷の地形は下末吉面が一番古く、続いて武蔵野面、立川面、沖積低地の順に形成された。この地形はいずれも古多摩川による河岸段丘で、下末吉面が最高位で以下は順次低位となる。武蔵野面と立川面の境には、高低差が十数メートルから20メートルにもおよぶ崖線が存在し、「国分寺崖線」と呼ばれる。 野毛古墳群に属する古墳は、国分寺崖線の斜面上に立地している。この地域の地形は、多摩川の方向に突き出す舌状台地と小さな支谷が交互に連なっていて、主要な古墳は舌状台地の上に点々と存在する形となっている。野毛古墳群は前記の舌状台地上に5世紀から6世紀にかけて連続して造営されたもので、狐塚古墳も含まれる。狐塚古墳が立地する地点の標高は、約32メートルを測る。 狐塚古墳について、かつて西岡秀雄は「西岡12号墳」と呼んで紹介していた。周辺には東方に尾山北原塚古墳(別名西岡13号墳、遺跡番号137)、八幡塚古墳(別名西岡14号墳、遺跡番号138)、天慶塚古墳(別名西岡15号墳、遺跡番号139)、西岡16号墳(遺跡番号140)、西岡17号墳(遺跡番号141)が所在する。西方には野毛古墳群中最大の野毛大塚古墳(遺跡番号127)を始め、大日塚古墳(別名西岡11号墳、遺跡番号135)、御岳山古墳(別名西岡10号墳、遺跡番号134)、スクモ塚古墳(別名西岡6号墳、遺跡番号128)、上野毛稲荷塚古墳(遺跡番号115)など古墳の存在が多く認められる。 狐塚古墳より西方の台地斜面には、等々力根横穴墓群(遺跡番号222)、等々力渓谷横穴墓群(遺跡番号130)、谷川上横穴墓群(遺跡番号118)などが形成されている。狐塚古墳の一帯には、等々力西根遺跡(遺跡番号295)が重複して存在している。
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