土方久功とは? わかりやすく解説

土方久功

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 08:29 UTC 版)

土方 久功(ひじかた ひさかつ、1900年7月13日 - 1977年1月11日[1])は、日本の彫刻家民俗学者パラオなど広く南洋に取材し、民族学的資料を多く残すとともに、芸術作品のテーマとして作品を残した[1]


  1. ^ a b c d e 土方久功、『講談社 日本人名大辞典』、講談社コトバンク、2010年1月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 「土方久功 年譜」、やしの実大学、2010年1月2日閲覧。
  3. ^ 『官報』第1998号、大正8年4月4日、p.116.
  4. ^ 『東京美術学校一覧 従大正12年至大正14年』東京美術学校、1925年、204頁。NDLJP:940892/109 
  5. ^ 松居直「土方久功の造型」『絵本・物語るよろこび』99-109ページ
  6. ^ 土方家・本田家系図清水久夫、国立民族学博物館調査報告89、2010-02-26
  7. ^ 書籍の紹介『土方久功日記』一般社団法人太平洋協会
  8. ^ 『土方久功著作集, 第3巻』三一書房, 1990、p272
  9. ^ OPAC NDL 検索結果、国立国会図書館、2010年1月2日閲覧。


「土方久功」の続きの解説一覧

土方久功

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 04:59 UTC 版)

中島敦」の記事における「土方久功」の解説

彫刻家画家民俗学者中島パラオ南洋庁赴任した際に知り合い意気投合した。土方久功は両親の死亡などで東京離れ1929年昭和4年)からパラオ南洋庁嘱託として木工図工教員の職につきなが島々遺物土器調査し南洋民俗学第一人者となった。土方久功の親戚には築地小劇場小山内薫とともに建設した演出家土方与志がいる。久功は築地小劇場開場際にシンボルマーク葡萄の房をデザインした。与志の祖父土方久元の弟が久功の父親という関係(与志は、久功の伯父の孫)であるが与志は久功より年長で中島父への手紙で久功のことを「土方与志氏の弟」と紹介していた。中島同様に甘党で、パンやミルク紅茶ビスケット好物であったという。土方中島南洋暑さ湿気喘息が辛そうだった様子回想している。

※この「土方久功」の解説は、「中島敦」の解説の一部です。
「土方久功」を含む「中島敦」の記事については、「中島敦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「土方久功」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「土方久功」の関連用語

土方久功のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



土方久功のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの土方久功 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中島敦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2022 GRAS Group, Inc.RSS