国笠ノロ伝説
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『おもろさうし』巻十三・一〇九番と一八二番にある「国笠の親のろ」とは久高島のクニチャサ祝女の事を指す。久高島の伝承では、喜界島戦勝のみぎり、久高島参詣に出向いた尚徳が、島の外間村国笠ノロに就任した大里家の娘(伝承上もクニチャサと呼ばれている)に心を奪われ、寵愛のあまりに帰還を忘れ、その隙に首里でクーデターが起こったと言う。その後尚徳は皮肉にも自ら征服した喜界島に流されあるいは逃散し、そこで匿われて生涯を閉じたとも言われる(尚徳の陵墓跡は養育係であった安謝名の故地である那覇市識名にあるが、墓は所在不明である)。前述のとおり正室と側室の一族は多くが誅戮されたが、一説には大里家の娘(クニチャサ)との子供(もしくは喜界島征服後、臣従した現地有力者の娘との子供)が子孫として喜界島に隠遁したとも伝わる。いずれにせよ琉球王国の正史(世鑑、世譜、球陽)では先述のとおり1469年に薨去したとだけ書かれている。 この伝承は一部が現代まで琉球舞踊・組踊としても伝わっており、組踊の脚本と伝承が混淆している面はあると思われるが、首里に戻ろうとした尚徳が、途中行き合わせた漁船から金丸のクーデターを聞き、憤って海に身を投げて入水し、大里家の娘(クニチャサ)もガジュマルの木で後を追って縊死したとも伝わる。
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