国章の歴史
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オスマン帝国は19世紀後半、西洋の紋章学的記述に基づく紋章を持とうとし、何度かの修正の結果1882年4月17日にスルタン・アブデュルハミト2世により最終的な形態が採用された。 オスマン帝国の君主はみな、トゥグラというアラビア文字による花押のような署名をもっており、これが同時に帝国のシンボルとしても用いられていた。 1882年に制定された紋章は、中央の緑色の円盤の中に君主のトゥグラが書かれ、その下に緑色の上向きの三日月があった。その左右には緑の旗と赤い旗があった。左側の緑の旗はルメリアを、右側の赤旗はアナトリアと他のアジア諸国を象徴している。 その両脇にはジハードのための武器の数々、平和と幸福の花束、クルアーンとスンナの二つの書物に載る公正や正義を意味するはかりが配されている。その下方には帝国の5つの勲章(左から右に、Şefkat Nişanı, Mecidiye Nişanı, İftihar Nişanı, Osmani Nişanı, İmtiyaz Nişanı)が描かれている。
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国章の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/12 17:25 UTC 版)
カトリック両王の時代から1873年の第一共和政開始に至るまで、スペインの国章は王の紋章と同義と見なされてきた。国章と王家の紋章は近接に結びついていき、歴史が下り異なる政体になっても、これらの意匠は形を変えて使われ続けた。
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