国等級区分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 02:30 UTC 版)
各国に課せられた納税の規模は、当時の各国の国力に基づき判定された。 各国は時節の国情、時勢を元に変動する大国(たいこく、たいごく)・上国(じょうこく、じょうごく)・中国(ちゅうごく)・下国(げこく)の4等級に割り付けられた。 国司の格や役職数も時勢に基づき変動したが、基本的に官位相当は大国の守は従五位上、上国の守は従五位下、中国の守と大国の介は従六位下、上国には介を置き中国には介を置かず下国には介掾は置かないなどの規則が大宝令・養老令に定められていたものの、実際には各国の国司の繁忙さに合わせて国司の人員調整が行われていた。これを示すものとして、以下のような例がある。 『続日本紀』宝亀6年(775年)3月2日の条によれば、「始めて伊勢国に少目2員、参河国に大目1員と少目1員、遠江国に少目2員、駿河国に大目1員と少目1員、武蔵国に少目2員、下総国に少目2員、常陸国に少掾2員と少目2員、美濃国に少目2員、下野国に大目1員と少目1員、陸奥国に少目2員、越前国に少目2員、越中国に大目1員と少目1員、但馬国に大目1員と少目1員、因幡国に大目1員と少目1員、伯耆国に大目1員と少目1員、播磨国に少目2員、美作国に大目1員と少目1員、備中国に大目1員と少目1員、阿波国に大目1員と少目1員、伊予国に大目1員と少目1員、土佐国に大目1員と少目1員、肥後国に少目2員、豊前国に大目1員と少目1員を置く」とある。 『文徳天皇実録』天安2年(858年)4月15日の条によれば、「下野国に大掾と少掾を各1名ずつ配置する」とある。 『日本三代実録』貞観8年(866年)3月7日の条によれば、当時の国司の介を置いていなかった上国を含む八国(甲斐国、能登国、丹後国、石見国、周防国、長門国、土佐国、日向国)に介を置き飛騨国に掾を置くなど、公廨稲・公廨田・事力の新たな分配を示す太政官判定があった旨が見え、これら9国で国司の増員が行われていたことが分かる。
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