国策による廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 18:30 UTC 版)
そんな桑名電軌にとどめを刺したのは、政府の政策であった。1941年の太平洋戦争勃発後、資源に恵まれない日本は軍需生産に必須である鉄の確保が至上命題となり、兵器製造による金属を中心とした物資不足が深刻化し、これを改善するために政府が出したのが「金属類回収令」である。銅像や梵鐘のほか、鉄道もその供出対象となった。鉄道の場合、政府が軍事的に重要ではない路線を「不要不急線」に指定し、国防や産業振興上の必要性の高い路線の新設や輸送力増強に資材を転用するものであった。 結果、全長約1kmという短さの当線は「不要不急線」とされてしまい、さらに競合対象である乗合自動車が参宮急行電鉄(現在の近畿日本鉄道)系列の会社で太刀打ちもできないことから、「戦力増強の国策に応じるため」との理由で廃止を決定した。1943年年末の臨時株主総会において廃止と会社解散を決議し、翌1944年1月10日、桑名電軌はミニ路線として、17年の歴史に幕を閉じることになった。 撤去工事は10日ほどで終了し、会社の清算も素早く進んで同年3月8日に解散。桑名に路面電車網を広げる当社の壮大な計画は消えた。
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