四万たむら
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※「老舗の一覧#1500年から1599年まで」の「1563年」に記載あり。 戦国時代末期の永禄4年(1563年)、上杉謙信方・斎藤憲広配下の武将・田村清政(田村甚五郎清政、初代田村甚五郎)は、主君の居城であった岩櫃城の落城に伴い、越後に落ち延びるようとする斎藤一族への武田信玄方の追っ手を阻止すべく四万村山口に踏み留まった。事を成した後、そのまま山口に土着することになった清政は、この地の四万川にて新たな源泉を発見し、湯宿を営み始めた。これが温泉宿で栄える四万温泉の嚆矢となった。現在ある「四万たむら」(歴史的名称:田村屋旅館、旧称:賽陵館田村旅館)は初代田村甚五郎の湯宿を前身とする。cf. #1563。 田村家は、幕藩体制が成立しつつあった時期(豊臣政権末期、あるいは、江戸時代初頭)に、沼田領主・真田家を通じて公儀より四万温泉の湯守に任ぜられている。天保5年(1834年)には、10代目田村茂左衛門が旅館の母屋を格式の高い向破風様式に改築しており、これが現存する。 明治時代初期には、慶応義塾で学んでいた田村茂登馬(田村屋旅館12代目当主・田村茂三郎)が、福沢諭吉から直接薫陶を受けて交通の重要性に気付き、乗合バスを運行する群馬自動車会社を設立。渋川駅から四万温泉まで定期路線バスを走らせ始めた。cf. #諭吉薫陶。 初代田村甚五郎に始まる「田村屋旅館」は、近代の「賽陵館田村旅館」を経て、現代では「四万たむら」と新湯地区にある姉妹館(グループホテル)「四万グランドホテル」を経営している。四万グランドホテルは、2014年(平成26年)1月9日からハローキティとのコラボレーション企画を展開しており、女性客から好評を博している。ハローキティをテーマにした「メルヘンの湯」は温泉との世界初のコラボ作品であり、女性だけが利用できる。ハローキティをデザインした和モダンスタイルのカフェ「かふぇ ふろれすた」もある。路線バスを利用した場合の四万温泉の玄関口にあたるバス停「四万温泉 四万グランドホテル前」でもコラボデザインのハローキティの看板が迎えてくれる。 なお、児玉清と四万温泉の縁については、四万やまぐち館を中心に解説しているが、同じ山口地区ということもあってか、四万たむらとの親交も深いものであったとのことである。
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