噂の成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 16:57 UTC 版)
1969年10月12日、デトロイトのラジオ局WKNR-FMに電話をかけてきた人間が、ディスクジョッキーのラス・ギブにこの噂とその手がかりの話をしている。そしてギブとそのほかの電話主たちは、1時間かけて本番中にこの話題で議論を戦わせ、番組の2日後には「ミシガン・デイリー」紙がミシガン大学の学生フレッド・レイバーによる風刺的な『アビイ・ロード』のレビューを掲載した。その見出しも「マッカートニー死す。新たな証拠が明るみに」というものだった。この記事では、ビートルズのアルバムカバーにおける様々な「手がかり」がポールの死につながるものと認定されており、リリースされたばかりの『アビイ・ロード』のLP盤からも新たな手がかりは発見されていた。こうして大量の手がかりを考案したレイバーだったが、全米の新聞にこの話が取りあげられることは予想していなかった。さらにWKNR-FMはこの問題に関する2時間の特別番組「The Beatle Plot」を組み、噂を加速させた。特番は1969年10月19日に放送された(その後デトロイトのラジオ局で数年にわたって放送されている)。 1969年10月21日の早朝に、ニューヨークのラジオ局WABCのディスクジョッキーであるロビー・ヤング(英語版)は、番組の進行上やむを得ず中断するまで1時間かけてこの噂について議論した。当時のWABCは38の州にまたがる広い聴取可能エリアを誇っており、時に国外でも聞こえることがあった。その日遅くに、ビートルズの広報担当は国内外のメディアに幅広く取りざたされた噂を否定する声明を発表した。様々な「手がかり」を駆使して語られたのは、次のような筋書きだった。遡ること3年前(1966年11月9日)、ビートルズのレコーディング中に口論を起こしたポール・マッカートニーは怒りにまかせて帰りの車を走らせた。そして自動車事故を起こし、結果的に命を落としてしまう。世間を悲しませないようビートルズは、代役にポールのそっくりさんコンテストで優勝した「ウィリアム・キャンベル」を立てることにした。
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