商務印書館の重鎮へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/19 07:20 UTC 版)
1921年(民国10年)9月、王雲五は胡適の推薦で商務印書館で編訳所長となった。王は「教育普及」「学術独立」の出版方針を掲げて、組織を改革し、朱経農・楊杏仏・周鯁生・竺可禎など専門家を招聘して、多様な出版活動を展開し始める。編訳所長の地位にあった間、『万有文庫』を創設し、各種の英語辞書や百科事典を編集・発行するなど顕著な功績を残した。さらに辞書検索方式の研究を行い、1927年(民国16年)4月に「中外図書統一分類法」を表し、1928年(民国17年)10月、「四角号碼検字法」を創出した。 このほか、王雲五は上海図書館協会会長にもなり、商務東方図書館館長、中華民国大学院訳名統一委員会主任委員、中華図書館協会執行委員、中国公学校董事なども歴任した。しかし1929年(民国18年)10月に王は労働組合との対立が激化し、編訳所長を辞任、いったん商務印書館を離れている。王は楊・蔡の紹介で中央研究院社会科学研究所法制組主任兼研究員となった。 1930年(民国19年)春、王雲五は商務印書館に総経理として返り咲く。その際にも王は諸外国で科学的経営管理を視察し、その際に得た知識を元に商務印書館の組織改革を進めようとした。1932年(民国21年)1月の第一次上海事変(一・二八事変)で商務印書館は破壊に遭ったため、王は内地へ会社・設備を次々と移す。その一方でコスト低下などの改革に取り組みつつ、大量出版を手がけ、事変前よりも売上げは遥かに成長した。これにより出版企業人としての王の名声は高まることになる。
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