商務委員会の調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 01:28 UTC 版)
「プリンセス・アリス (客船・1865年)」の記事における「商務委員会の調査」の解説
検死審問と同時に行なわれたのは、商務委員会の調査であった。責任は、ハリソン船長、バイウェル・キャッスルの乗組員2人、そしてプリンセス・アリスの一等航海士ロング (Long) にあるとされた。聴聞の開始時に、全員が免許を一時停止されていた。商務委員会の手続きは1878年10月14日から始まり、11月6日まで続いた。委員会は、プリンセス・アリスが商務委員会規則の規則29のd節 (Rule 29, Section (d) of the Board of Trade Regulations)と1872年のテムズ川保護委員会の規則(Regulations of the Thames Conservancy Board, 1872) に違反したことを明らかにした。これは、もし2隻の船が互いに相手の方に向かっているならば、彼らは互いの左舷側を通過するべきである、と述べた。プリンセス・アリスはこれに従わなかったため、委員会はプリンセス・アリスが責めを負うべきであること、バイウェル・キャッスルが衝突を回避しえなかったと判断した。 プリンセス・アリスを所有していた会社は、バイウェル・キャッスルの所有者を相手取って2万ポンドを請求する訴訟を起こした。バイウェル・キャッスルの所有者は2000ポンドを請求する反訴をした。これは、1878年後半に高等法院の海事部 (Admiralty Division) で審理された。2週間後に下った審判は、双方の船が衝突の責めを負うべきであるというものであった。 乗客名簿、あるいは乗船した人々の人数の記録は、プリンセス・アリスに保存されていなかったので、死亡した人々の人数を計算することは不可能であった。数字は600から700までさまざまである。『タイムズ』によれば、「検死官は川から回収されていない60ないし80の遺体があると信じている。したがって失われた生命の総数は630ないし650であったにちがいない」 (the coroner believes that there are from 60 to 80 bodies unrecovered from the river.The total number of lives lost must thus have been from 630 to 650)とされる。マイケル・フォーリー (Michael Foley) は、テムズ川での災害の調査で次のように述べている「最終的な死亡者数の証拠はなかった。しかし、最終的には約640が回収された」 (there was no proof of the final death toll. However, around 640 bodies were eventually recovered)。この沈没は、イギリスで最悪の内水での災害 (the worst inland disaster on water in the UK) であった。 犠牲者のためのマンションハウス基金が、沈没の余波の中、ロンドン市長によって開かれた。それは閉鎖するまでに3万5000ポンドを集め、犠牲者の家族の間で分配された。
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