唐人町の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 17:35 UTC 版)
「唐人町商店街 (佐賀市)」の記事における「唐人町の由来」の解説
唐人町は鍋島家に仕えた李宗歓とその一族ほかがこの地に居住したことを由来とする。李宗歓は高麗・吉州出身で1587年(天正15年)、舟遊びの最中に船が破損して北九州に漂着した。その後、1591年(天正19年)に鍋島藩家臣龍造寺家晴と成富兵庫茂安に出会ったことで佐賀に赴き、藩主鍋島直茂にもその才能を見込まれて仕えるようになった。宗歓は朝鮮出兵に通訳として同行し、また陶工たちを招聘し、佐賀での陶器製造にも重要な役割を果たした。しかし故国にとって利敵行為となる活動を行ったことで帰国の道は途絶えたため、1599年(慶長4年)に直茂は宗歓と彼が連れ帰った高麗人の一団を城下の十間堀川以北、愛敬嶋村に住まわせ、唐人(異国人)の住む町「唐人町」と名づけた。宗歓は唐物の繊維品、陶器類、金物類、海産物、荒物などを扱う貿易商として活動したため、これらを扱う商人が集まって、今日の唐人町の基礎が形成されている。 現在は「佐賀市唐人」と地名を変え、佐賀県道29号佐賀停車場線を境に西が唐人一丁目、東が唐人二丁目となっている。町内には居住する高麗人が帰依するため、1626年(寛永3年)、鍋島勝茂公の姫付老女、秀島源右衛門の母の願いにより創建された鏡圓寺があり、李宗歓の墓もここにある。また宗歓が邸内に故郷をしのぶために建てた石碑(唐人塚)が残っており、1955年(昭和30年)道路拡張のため場所を移した後、これを祭神とする唐人神社が1965年(昭和40年)に建立された。1968年(昭和43年)に鳥居が寄進されるなど崇敬され、町の守護神となっている。
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