唐代の三蔵伝説
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玄奘本人や彼のインドへの旅は、すでに生存中から伝説化・神格化が始まっていた。そして玄奘の死からわずか24年後の垂拱4年(688年)に弟子の慧立によって書かれ、彦悰が補った『大慈恩寺三蔵法師伝』(以下、『慈恩伝』)では、玄奘の誕生時に母の夢に法師が現れ、西天取経が定められた運命であったという説が早くも生まれている。三蔵が天竺から招来して翻訳した経典の中で最も著名なものは『般若心経』であるが、『慈恩伝』では蜀(四川省)で三蔵がぼろをまとった病人を哀れんで衣服と食物を与えたところ、その病人からお礼として『般若心経』を受けたことになっている。20世紀に敦煌で発掘された『唐梵翻対字音般若波羅蜜多心経』にも同様の話が載っているが、『慈恩伝』と異なり、取経の旅の途中に蜀で病僧(実は観音菩薩の化身)から得たとある。この地域でも早くから三蔵伝説が形成されていたことが分かる。また『慈恩伝』や『大唐西域記』に登場するインドに至るまでの地名は、後の小説にも採り入れられていく(ただし『大唐西域記』は12巻のうち10巻がインド滞在中の記録に当てられており、いわゆる西域往復の旅程は首巻と最終巻に記すのみである)。
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