唐代の庶民女性の暮らし
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:53 UTC 版)
「中国の女性史」の記事における「唐代の庶民女性の暮らし」の解説
唐代の税制度では、税は成人男性が国家に対して請け負うもので、女性は課税対象ではなかったが、男性の徴納品に含まれていた絹や麻は家庭の女性が制作するものであった。Charles Bennは、吐谷渾から引き継がれた風習として、唐代の女性は全身を覆うマントを羽織り、目の部分だけを開けていたとし、これは男性の視線を避ける意図があったことを述べている。8世紀、唐の高宗が女性が顔を晒すことが不安であると知ってこのスタイルに関する布告を出し、徐々に増え始めた。ただ、頭の覆いは、ベールが肩まで垂れ下がる形のつばの広い帽子がより一般的になった。 庶民の女性が付いた職業としては、食品販売の商業・蚕業・歌謡・舞踊・曲芸・大道芸・語り部・役人の秘書などがあり、ほかに宗教団体に入信する女性も多かった。長安の記録によると、8世紀には27の仏教の女性寺院があり、6つの道観が巫女を備えていた。尼僧も宗教行事に参加しており、たとえば長安に仏舎利を迎え入れる行事では、男女の僧侶が仏陀の指の骨を納めた車の後ろを行進した。
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