唐代の女性詩人
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知識人層の常連を相手をする高級売春婦や妓女に求められる教育水準は高いものであり、「廓あそび」の一環で詩賦を作ることができる者もいた。たとえば、李冶(李季蘭)は文学的才能があることでよく知られ、唐の徳宗のもとに召されて詩を創作した。徳宗は、女性学者や女性詩人を認めており、宋廷棻の娘の宋若莘・宋若昭・宋若倫・宋若憲・宋若荀らを召して彼女たちの詩を鑑賞し、そのまま宮廷公式のお抱え詩人とした。 李冶を含めたこの時代の女性詩人は、異なる社会階層を渡り歩いたものが多く、妓女になったのちに道教の尼僧になった例として薛濤や魚玄機(英語版、中国語版)が挙げられる。特に魚玄機の詩は、従来の「閨怨詩」に新たな要素を深し、ただ「待つ女」を描くのではなく、男を皮肉り、挑発し、攻撃することも多い。このように、唐代においては女性作家はありふれた存在であり、蔡省風は女性による作品だけを収集して『瑤池新詠集』を編纂した。ほか、よく知られた詩人として杜秋娘(中国語版)がおり、彼女の詩は女性詩人としては唯一『唐詩三百選』に選ばれている。
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