和太鼓との出会い・運命・宿命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/08 04:12 UTC 版)
「御木裕樹」の記事における「和太鼓との出会い・運命・宿命」の解説
「2歳から始まった太鼓人生であるが、初めてその音色を聴いた時、体が熱くなってしびれたのを覚えている。品川宿の名残がある南品川で生まれ育ったが、品川は昔からお祭りが盛んで一年を通してあちこちから太鼓の音が聞こえてくる。太鼓の音を聞くだけで血が騒いで居ても立ってもいられず、太鼓の音がするほうに近づいて行くと、お祭り前の季節には神輿の太鼓(品川拍子・大拍子)の練習を、また盆踊り前の季節には盆太鼓の練習などをやっていて、近所のおじさん達が叩かせてくれて、優しく教えてくれて、家でも座布団やダンボールで夢中になってお稽古するほど熱中した。」「また、2歳の頃から大田区の平和島温泉(現在:天然温泉平和島)に祖母に連れられて毎日のように通った。ここは当時お年寄りが温泉につかったり、お茶を飲んだりする敬老会館のような場所で、ここの舞台で毎日行われる演芸の盆踊りのコーナーで太鼓を叩かせてもらって盆太鼓を叩いていた。幼い頃から太鼓に接する機会がほんとうに多く、太鼓に打ち込める環境が自然に整っていたと言える。」とインタビューの中で、幼少時に和太鼓を始めたきっかけについて答えている。 幼い頃から日本の伝統楽器である和太鼓をやっているため、家柄や両親の影響で和太鼓を始めたと思われる事が多いが、実際は全く関係なく自ら興味を持って2歳から始め、「父は自分が太鼓を始めてから『そんなにおもしろいのか』と自分より後に始めたくらいですから(笑)」とインタビューで語っている。 和太鼓本体や、手に持つ桴(バチ)、太鼓の台などは全て樹木で作られている事から、御木裕樹(みき ひろき)という名前は芸名だと思われる事が多いが、これは偶然の一致で本名であり「物心がついた時にはすでに和太鼓を叩いていたので、和太鼓との運命・宿命を感じる。大変に有り難い名前を頂いた両親と、見守り導いて下さった神に、感謝の心でいっぱい。」と話している。
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