否定証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:57 UTC 版)
当時、第二魚雷艇隊の少尉候補生で、この事件が弁護士活動の原点になったという、後に日本弁護士連合会(日弁連)の会長になった土屋公献は、この食人事件を否定している。 彼は、父島に配属されており、ボーン中尉と会話を交わす機会が幾度かあったばかりか、処刑当日は、彼を処刑場に連行する役も務めていた。しかも、初めはボーンの処刑役まで務める予定であった(途中で、処刑役を学徒出陣組の中にいた剣道四段の人物と変更させられる)。処刑されるまでボーンの身近にいた土屋はこの事件の内容について、処刑された場所は秦郁彦のいう砂浜ではなく米軍の砲弾で穴の開いた土の上で、飢餓状態で理性を失った二人の兵士がボーンの遺体を掘り返そうとした事があり、それを当直将校であった土屋が戒めており、酒宴を開き人肉を食ったなどという事実はなかったと証言している。 (なお、土屋は、日本の戦争責任を追及し、戦後補償裁判の一つで重慶大爆撃訴訟の弁護団長を務めていた人物であり、彼の立場柄、日本軍の戦犯を隠す為に否定しているとは考え難い)
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