名古屋モスクの建設
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「名古屋モスク (1936年-1945年)」の記事における「名古屋モスクの建設」の解説
モスクの建設に向けた動きは1935年に始まった。3月9日に建設委員会が設立され、8月には30平方メートルの土地を1,500円で購入した。重親 (2003)によると、この土地は当初織物商が所有していたが、商売がうまくいかなかったため分譲されたものだったという。1936年1月18日には建築許可が下りたが、名古屋在住のタタール人では資金確保が難しく、寄付金もわずかであったため同年の半ばには建設は一時中断した。 そこで神戸在住のタタール人であり、かつて神戸トルコ・タタール協会の会長も務めていたアグルジという人物から1,000円の借り入れを行った。これによって8月25日には建設は再開し、9月4日に定礎式が行われた。そして11月中旬に名古屋モスクが完成した。これは1935年に完成した神戸モスクに次ぐ日本で2つ目のモスクであった。 1937年1月22日に名古屋モスクの落成式が行われた。落成式にはおよそ100人のタタール人のほか、エジプトやトルコ、アフガニスタン、イランやインドなどのムスリム、また、極東イデル・ウラル・トルコ・タタール文化協会本部副会長であったギザトウリンや東洋トルコ・タタール文化協会の宗教委員長であったイマム・シャグダニが参列した。また、日本人では名古屋商工会議所会頭であった青木鎌太郎、名古屋高等商業学校の名誉教授であった渡邊龍聖、海軍協会副支部長であり、1890年に起こったエルトゥールル号遭難事件の生存者をオスマン帝国に送るために派遣された戦艦比叡の元乗組員であった幸田銈太郎の3人が参列した。 落成式ではアグルジがモスクの扉を開き、シャムグニが金曜礼拝を行った。その後、午後2時から東区社会館という施設において祝賀会が開催された。祝賀会ではシャムグニによるスピーチが行われ、名古屋モスクのイマームとなったキルキーが名古屋在住タタール人コミュニティの歴史を、建設委員長であったハミドリンが建設の援助者に感謝を述べた。また、日本人ムスリムであった有賀文八郎がイスラームの略史を、幸田銈太郎が日本とトルコの関係を述べ、祝賀会は午後8時に閉会した。
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