名古屋モスクの建設とは? わかりやすく解説

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名古屋モスクの建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 04:48 UTC 版)

名古屋モスク (1936年-1945年)」の記事における「名古屋モスクの建設」の解説

モスクの建設向けた動き1935年始まった3月9日建設委員会設立され8月には30平方メートル土地を1,500円購入した。重親 (2003)によると、この土地当初織物商が所有していたが、商売うまくいかなかったため分譲されたものだったという。1936年1月18日には建築許可下りたが、名古屋在住タタール人では資金確保難しく寄付金もわずかであったため同年半ばには建設一時中断した。 そこで神戸在住タタール人あり、かつて神戸トルコ・タタール協会会長務めていたアグルジという人物から1,000円の借り入れ行った。これによって8月25日には建設再開し9月4日定礎が行われた。そして11月中旬名古屋モスク完成した。これは1935年完成した神戸モスクに次ぐ日本2つ目のモスクであった1937年1月22日名古屋モスク落成式が行われた。落成式にはおよそ100人のタタール人のほか、エジプトトルコアフガニスタンイランインドなどのムスリムまた、極東イデル・ウラル・トルコ・タタール文化協会本部副会長であったギザトウリンや東洋トルコ・タタール文化協会宗教委員長であったイマム・シャグダニが参列したまた、日本人では名古屋商工会議所会頭であった青木鎌太郎名古屋高等商業学校名誉教授であった渡邊龍聖海軍協会支部長であり、1890年起こったエルトゥールル号遭難事件生存者オスマン帝国に送るために派遣され戦艦比叡の元乗組員であった幸田太郎の3人が参列した落成式ではアグルジがモスクの扉を開き、シャムグニが金曜礼拝行ったその後午後2時から東区社会館という施設において祝賀会開催された。祝賀会ではシャムグニによるスピーチが行われ、名古屋モスクイマームとなったキルキーが名古屋在住タタール人コミュニティ歴史を、建設委員長であったハミドリンが建設援助者感謝述べたまた、日本人ムスリムであった有賀文八郎イスラーム略史を、幸田太郎日本とトルコの関係述べ祝賀会午後8時に閉会した

※この「名古屋モスクの建設」の解説は、「名古屋モスク (1936年-1945年)」の解説の一部です。
「名古屋モスクの建設」を含む「名古屋モスク (1936年-1945年)」の記事については、「名古屋モスク (1936年-1945年)」の概要を参照ください。

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