名古屋モスクの設立
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第二次世界大戦後に日本で設立されたモスクは、工場やコンビニエンスストアなどの中古物件を買い取り、それをモスクに改築するという手法が主流だった。しかし、モスク設立の中心になったAは、モスクとしての新築にこだわった。 モスクの候補地としては、(1).留学生の利便を考え、名古屋大学から移動しやすい名古屋市営地下鉄東山線の沿線から徒歩で通えること、(2).近隣住民の不安を招かないように、住宅地ではなく大通り沿いであること、の2つが条件であった。名古屋大学の最寄り駅だった本山駅から順に1駅ずつ土地探しが続けられ、土地探しが始まってから4年後の1997年にこれらの2つの条件に合致する土地が見つかった。 1997年4月には名古屋イスラム協会に名古屋モスクプロジェクトが組織され、その責任委員としてAを含むパキスタン人など7人が選出された。また、この頃には、1990年に開設されたモスク基金口座にすでに約1200万円が集っていたが、国内外のムスリムや諸団体に寄付を募るため、会員が奔走し、10年にわたる募金活動の末、最終的には土地購入と建築に必要な約6780 万円を調達した。 法人登記されていない団体は、法律上の権利義務の主体になれないため、土地の売買契約は、名古屋モスクプロジェクト責任委員のうち3人が共同名義で締結した。 1997年12月10日に愛知県安城市の東海ハウスによってモスクの建設が着工し、翌年1998年7月1日にモスクが完成した。7月24日にモスクの完成記念式典が行われた。この式典には30人ほどのムスリムが参列した。また、サウジアラビアのマッカにあるマスジド・ハラームのイマームであるシャリーク・ビン・フマイドや駐日サウジアラビア大使も参列した。また、完成記念式典ではサウジアラビア国王からカアバのキスワの一片が贈られた。 名古屋モスクの役員には名古屋モスクプロジェクト責任委員の7人と、当時の名古屋イスラム協会の会長の合計8人が就任した。設立当初の名古屋モスクには礼拝の導師であるイマームが常駐しておらず、エジプト人やモーリシャス人、ウガンダ人などが短期的にイマームを務めていた。2009年9月、名古屋モスクは、エジプトにあるアズハル大学でイスラーム学を専攻し、エジプト政府からイマーム職として任命を受けたエジプト人をイマームに迎えた。
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