古代 - 1000年
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カムチャツカ人王室、またシャム・ポリネシア・インドシナでは一般的に兄妹姉弟間の結婚が認められていた。バギルミー、ビルマの王家、ワンゴロ人やゴアムにおいても兄妹婚は珍しくなかった。インドネシアのバドウィス族は数百年来近親相姦のみによって存続している。 王家の兄妹婚は、タイ、エラム王国、セイロン島のシンハレーズ族、フェニキア人、カリア人、ヨーロッパのジョルジァ、イベリア人、アフリカのカナリア諸島のガウンチ族、ウルア族、オロモ人、バガンダ王国、バニョロ王国、バヒマ王国、メロエ王国、モノモタバ王国、オセアニアのマルケサス、コロンビアでも行われていた。 小アジアにあったポントス王国の国王ミトリダテス6世エウパトルは妹のラオディケを妻とした。 アルメニア王国ではアルタクシアス朝のティグラネス四世は妹のエラトーと結婚した。近親婚はアルメニア人の間で根強く広まっていたようで、アルメニア使徒教会(合性論派キリスト教)が普及した後も変わらなかった。 エフタルの祭司階級がエフタル滅亡後にインド西北部に土着した集団といわれる「ガンダーラ・ブラーフマナ」は兄弟姉妹間で性交する習慣があったという。タタール人は自分の娘と結婚ができ、アッシリア人はセミラミスに対する宗教的尊敬から自分の母親と結婚した。 カンボジア地域の上層階級において父と娘、兄と妹が結婚する慣行があることが指摘されており、ギリシアの作家達は一般的にほとんど全ての外国民族にこの慣行があったと述べている。アテネで、テミストクレスの娘の一人はその同血の兄と結婚している。 父親を同じくする兄妹・姉弟間の結婚は、アラビア人、イスラム教を奉ずる南方スラブ人の間に見出される。 カール大帝は妹と近親相姦の関係にあり、勇将ローランはカール大帝と妹の近親相姦で生まれたという伝説が中世において流布した。カール大帝にはギスラという妹がおり、カール大帝は妹を母と同様に深い愛情を込めて尊敬した。また、カール大帝には6人の娘がいたが、彼は娘を寵愛し、娘を一人も自国民にも多民族にも嫁にやろうとはせず、自分が死ぬまで家に留めて一緒に暮らした。近親相姦はフランク族の間に広く行きわたっていた習慣だった。 アケメネス朝ペルシアの王カンビュセス2世、両親を同じくする妹である下の妹ロクサーナと上の妹アトッサと結婚した。最近親婚(フヴァエトヴァダタ)を善行とするゾロアスター教において、この結婚は現在確認できる最初の王家による最近親婚であった。ササン朝のカワード1世は娘と一緒になった。 スメリヤ王家では兄妹・姉弟間の結婚が行われていた。 アラビア湾岸地帯では母親と交わる慣習が存在した。マーシャル諸島や古代アイルランドでは兄弟姉妹間の結婚、ソロモン諸島では父娘間の結婚が認められている。
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