古代〜奈良時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 20:54 UTC 版)
大化以前の社会には様々な氏族があり、氏上(うじのかみ、このかみ)がこれを統率していた。氏上の初見は『日本書紀』天智天皇3年(664年)2月の「大氏の氏上に大刀を、小氏の氏上に小刀を、伴造等の氏上に干楯弓矢を賜う」という記事であるが、これは私的な存在であった氏上を公的に認めたものと推測される。氏上は地域集団の長として大きな影響力を有していたが、これ以降は天武天皇4年(675年)に氏の部曲(私有民)が廃止され(『日本書紀』)、天平宝字元年(757年)には公事以外で族人を糾合することが禁じられるなど(『続日本紀』)、律令制の中に組み込まれていった。それでも奈良時代においては、氏上の地位は朝廷の認可を必要とするものの氏人の協議により選ばれ、その任期も終身であり、古代の族長的性質を残していた。
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