古代〜室町時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 16:46 UTC 版)
原始から古代までは市のほとんどが伊勢湾の海中であり、遺跡などは存在していない。 平安末期になると現在の弥富市にあたる場所には、木曽川の土砂が堆積し、小島がいくつか形成されていた。弥富町誌によれば、1106年(長治3年)、東寺文書「平盛正」にてその地を「市江」(現在の愛西市西保・東保・西條・東條および弥富市五之三・荷之上・鯏浦にかけて跨る地区)として藤原家が開墾し、荘園としたという史料として残っており、弥富の有史はこの記録からとされている。また当時、平治の乱に破れた源義朝を乗せた船が当地を通ったとの伝承がある。市江は藤原信長から藤原頼長に伝領しのち皇室領の樑江庄となった。 「市江八郷」と呼ばれた市江地区は「市江島」として室町時代に開発したが、当初は尾張と伊勢の国境が曖昧であり、伊勢国に属していた。のち、市江島と五明をはじめとする輪中が形成されていったと見られている。 その後、荘園制が崩壊し村々の力が強くなると村周辺を次々と開墾し、「杁」と呼ばれる技術が進むと低い土地でも堤防で囲み田畑を広げ、新田開発が発展した。水から生活を守るため、自然堤防・州上に集落は立地し、葦洲がいたるところにみられた。
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