古代および中世における理解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 00:04 UTC 版)
「共義語」の記事における「古代および中世における理解」の解説
自義語・共義語の区別は、古代ギリシア文法において確立された。自己充足的に存在物を指示する語(名詞や形容詞など)は自義的と言われた。これに対し、それ自身を表さない語(前置詞や論理結合子など)は共義的とされた。プリスキアヌスはその著書『文法学教程』 において、共義語のことを「consignificantia」と訳している。スコラ学者はこの違いをそのまま残し、13世紀の論理学の復興後、学問上の主題となった。シャーウッドのウィリアムは、『Syncategoremata』という論文を書いた。その後、彼の弟子であるスペインのペテロが、『Syncategoreumata』と題する同様の著作を発表した。
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