古代末期の宗教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/06 09:23 UTC 版)
詳細は「古代末期のキリスト教」を参照 古代末期の重要な変化のひとつが、キリスト教、ラビ・ユダヤ教、さらにはイスラム教などのアブラハムの宗教の拡大である。この内のキリスト教化の始まりのひとつの指標は、カイサリアのエウセビオスの記述にあるように312年のコンスタンティヌス1世(在位:306年 - 337年)の回心である。 コンスタンティヌスは313年、リキニウスと連名で「ミラノ勅令」を発布したとされる。最初の公会議であるニケーア公会議を325年に開催し、エルサレムの聖墳墓教会のような教会建造物や聖堂を建立するなど、教会史上重要な出来事を主導した人物である。キリストの復活と過ぎ越しの祭りとの関連性などの疑問に関心を持っていた。 3世紀にエジプトの砂漠で発祥した修道院制度は、8世紀まで教会の司教の権威の管轄の外に置かれ、キリスト教の大切な基礎のひとつになった。 4世紀末にはテオドシウス1世がキリスト教を国教に定めており、古代ローマの世界は次第に、ピーター・ブラウンが「どこにでも聖なる魂の存在の物音がする」と評したような姿に変わっていった。 古代末期は、ローマの多神教の終焉を決定づけた時期でもある。それはとりわけ、エウセビオスのような皇帝の周囲の助言者達の示唆によって出された勅令によって線引きできる。大規模な宗教的実験と混合的な神秘宗教の時代とも言え、グノーシス主義や新プラトン主義、あるいはカルデア神託(英語版)や、ヘルメス文書のような教典など、そのいくつかはこの時代の初期を彩った。
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