参議就任とは? わかりやすく解説

参議就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:54 UTC 版)

坂上田村麻呂」の記事における「参議就任」の解説

陸奥国胆沢城志波城築いたこともあり、延暦23年1月19日804年3月4日)、桓武朝第四次蝦夷征討計画されると、7ヵ国が糒1万4315斛・米9685斛を陸奥国小田郡中山柵搬入するよう命じられている。これを受けて田村麻呂1月28日804年3月13日)に征夷大将軍任命され副将軍には百済佐伯社屋道嶋御楯の3名が、そして、軍監8人・軍曹24人が任命されている。 同年5月15日804年6月25日)、危急備えて志波城胆沢郡の間に1駅を、11月7日804年12月12日)には栗原郡に3駅を置くことなどが決まり朝廷蝦夷征討向けて準備整えていく。 この頃平安京にいた坂上田村麻呂は、延暦23年5月に造西寺長官兼務すると、8月7日804年9月14日)には桓武天皇巡幸の際の行宮の地を定め使者として和泉国摂津国派遣され10月8日804年11月13日)に和泉国生野現在の大阪府岸和田市)にて行われた狩猟随従して桓武天皇に物を献上すると、綿200斤を賜ったこの頃肩書きは「征夷大将軍従三位近衛中将兼造西寺長官陸奥出羽按察使陸奥守勲二等であった延暦24年6月23日805年7月22日)、48歳時に坂上氏出身者として初めてとなる参議就任した同年10月19日805年11月13日)、清水寺寺印1面賜ると、永く坂上氏私寺とすることを認め太政官符が発符された。11月23日805年12月17日)には坂本親王加冠列席して衣を賜った

※この「参議就任」の解説は、「坂上田村麻呂」の解説の一部です。
「参議就任」を含む「坂上田村麻呂」の記事については、「坂上田村麻呂」の概要を参照ください。

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