原稿の歴史とは? わかりやすく解説

原稿の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 20:21 UTC 版)

ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」の記事における「原稿の歴史」の解説

1785年10月22日に、サドバスチーユ牢獄中で本書清書始める。作品押収避けるため、幅12センチ小紙片を糊付けして作った長さ12.1メートルの薄い巻紙両面小さくぎっしり詰まった文字清書する作業は、午後7時から10時の間に行われ11月28日完成した。 だがフランス革命勃発直前1789年7月2日サドブリキ管を使って即席作ったメガホンで壁の下に集まった群集扇動しようとし、その結果7月4日午前1時、自身言葉によると「蛆虫のように裸のままで」シャラントン精神病院へと連れ去られた。このため、彼はこの原稿を含む全ての私物バスティーユ置き去りにせざるを得なかった。7月14日牢獄陥落し略奪破壊の後、サド原稿紛失してしまった。このような作品喪失サドに、その言葉によると、「血の涙」を流させた。 だがサド死後、アルヌー・ド・サン=マキシミンバスチーユ牢獄サド一室で『ソドム』の巻紙発見し、後にヴィルヌーヴトラン家が3代亘って所有することとなった原稿19世紀末ベルリン精神科医イヴァン・ブロッホ売却されブロッホ1904年にオイゲン・デューレンの偽名最初の版公刊したが、これは多数転写ミスを含む粗悪な品質だった。ブロッホ死後1929年にモーリス・エーヌがシャルル・ド・ノアイユ子爵委託を受け原稿入手1931年から1935年にかけて、検閲避けるため「愛書家購読者」限定出版し、その品質からこれ真正原典版考えられている。 のち1985年に、草稿子爵の子孫によって売却されジュネーブの(主にエロティックな)稀覯書蒐集家であるジェラルド・ノルトマン(1930-1992)の手渡った草稿2004年になって初めて、ジュネーブ近郊のマーチン・ボードマー基金にて公開された。 その後フランス投資会社アリストフィル(フランス語版)の所有となったが、2015年にアリストフィルが倒産同社所蔵していた歴史的文献コレクションとともに競売出されたが、2017年12月フランス文化省は競売取り下げ命じ草稿国宝フランス語版)に指定された。 2021年7月9日フランス文化省は草稿455ユーロ(約6億円)でフランス政府買い上げられたことを発表した今後は、フランス国立図書館構成するアルセナル図書館所蔵となる。

※この「原稿の歴史」の解説は、「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」の解説の一部です。
「原稿の歴史」を含む「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」の記事については、「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」の概要を参照ください。

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