原理としての法とルールとしての法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 01:09 UTC 版)
「ロナルド・ドウォーキン」の記事における「原理としての法とルールとしての法」の解説
ドゥウォーキンは法実証主義の最も重要な批判者であり、考えうるありとあらゆるレベルの法実証主義者の理論を拒絶する。ドウォーキンは法の実在や内容に関するいかなる一般理論をも受け入れない。ある法について、その効果に言及することなしにでも、特定の法体系に依拠するならばそれを同定できるということを否定する。また彼は、法実証主義の全体的、慣習的な見方をも否定する。ドウォーキンにとって法理論とは、事案がいかに決定されるかという方法についての理論であり、それは政体による説明によって成立するのではなく、政府による政府の懸案に対する強制力の行使を抽象的、理想的に制御することによって成立するのである。 ドウォーキンは、ハーバート・ハートの実証主義に対する批判によってよく知られており、著書『法の帝国』の中でその批判を全面的に繰り広げている。ドウォーキンの理論は「解釈主義」と呼ばれ、法とはなんであれ、法体系の慣習的な歴史を構成的に解釈した後に得られるもの、とする。 ドウォーキンは、人々が大事に抱いている倫理的原則はしばしば誤っており、時には、歪められることによって「ある種の犯罪には受け入れられるものがある」とまで解釈されうる、と論じる。法廷はこれらの原則を見出し、適用するために、過去の法の実用を最もよく説明し正当化するような解釈を生み出そうとする視点から、法的な与件(立法過程や判例など)を解釈する。この場合、解釈が有意味なものとなるように、「純一性としての法'law as integrity'」という考え方に従わなければならない、とドウォーキンは論じる。 法がこのような意味で「解釈による」ものであると考えるドウォーキンは、人々の法的権利が云々される状況においては、解釈は「正しい答え理論(the right answer thesis)」にかかわらざるを得ない、と考える。また彼は、そのような難しい判断においては、裁判官に自由裁量権はないとする。 ドウォーキンの法原則は、ハートの「承認のルール'Rule of Recognition'」とも関係している。ドウォーキンは、ハートが言うような、法体系において他の法を有効と認定するような上位規則、という考えに反対する。その根拠は、有効と認定する過程は皆が納得するようなものでなければならないのに、人々には、正しく法的な結果が正当な異議に対して開かれているような場合でさえ法的権利があるからである。 ドウォーキンは、実証主義による法と倫理の区分に与せず、伝統的な自然法が仮定するように、法と倫理は存在論的な意味でなく認識論的な意味において関係し合っている、と考える。
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