危機後の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 01:12 UTC 版)
「世界金融危機 (2007年-2010年)」の記事における「危機後の影響」の解説
2008年10月の各国の対応によって、金融危機はいったん収束へと向かう。アメリカでは銀行の資本増強が行われたが、ヨーロッパは共通の対策がドイツによって拒否されたために各国ごとの対策にとどまり、資本増強は不十分に終わった。この違いは、のちに2010年のユーロ危機によって表面化した(#ヨーロッパを参照)。経営が悪化した金融機関を支援した各国では財政が悪化し、財政の悪化によって国債が下落し、さらに金融機関支援のコストを増やした。これを財政危機と金融危機の悪循環とも呼ぶ。財政赤字を抑えるために多くの国で緊縮財政が行われ、医療・教育・自治体のサービスが削減された。国際機関や政府が進める緊縮財政に対して、反緊縮運動(英語版)も起きた。 全米経済研究所は2010年9月20日に、2007年12月からのアメリカの景気後退は2009年6月に終了していたとコメントした。しかしこれはアメリカ国内の景気循環について述べたものであり、余波について触れていない。世界金融危機によってドバイ・ショック(2009年11月)、ユーロ危機(2010年-)などが起きて経済にマイナスの影響を残したほか、2014年クリミア危機のように金融危機の余波による政治危機も起きた。 全世界の失業者は2700万人から4000万人に達したといわれる。他方、政府支援を受けた企業が高待遇を続けたために批判を受ける場合もあった。金融業界の不祥事は就職にも影響を与え、マサチューセッツ工科大学(MIT)の2009年の卒業生で金融業を選ぶ者は、2006年から2008年と比較して45%減少した。 金融危機は、金融システムが債務に依存しているという批判のきっかけにもなった。20世紀後半から世界金融危機までは、高額所得者に占める金融業者の割合が増加を続けており、さらには富裕者とそれ以外の所得格差が拡大した時代でもあった。2011年にウォール街を占拠せよと呼ばれる抗議活動が始まると世界各地にも影響を与えた。2011年10月15日にはイタリアのローマで10万人から40万人、スペインでは100万人、ポルトガルで数十万人が集まって緊縮財政への反対デモが開催され、他にも世界の900以上の都市で支援デモがあった。
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