危機的な状況での総司令官交替
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:06 UTC 版)
「ナチス・ドイツのフランス侵攻」の記事における「危機的な状況での総司令官交替」の解説
ドイツの装甲軍団が英仏海峡を目指して驀進していた5月19日、レイノー首相は総司令官のガムランを解任し、後任に、73歳のマキシム・ウェイガン上級大将を起用した。同時に、副司令官のアルフォンス・ジョルジュ上級大将も解任された。ウェイガンは、当時、中東戦域司令官でシリアにいたが、5月20日に帰国してガムランの司令部を引き継ぎ、20日と21日を、前線視察、ベルギー国王、ゴート卿(イギリス大陸派遣軍司令官),ガストン・ビヨット大将(第1軍集団司令官)との会合の為の旅に費やした。20日に、ドイツ軍は英仏海峡に到達した。英仏軍が大勢を挽回するためには、自動車化されていないドイツ軍歩兵の進撃が装甲部隊に追いつかない為、脆弱なままであるドイツ軍突出部を、側面から攻撃して切り取ってしまうことであった。しかし、総司令官交替にともない貴重な2日を空費し、計画されていた反撃は遅れ、かつ、南北、英仏、陸空、装甲・歩兵・砲兵の連携を欠いており、失敗してしまった。
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