占拠グループの詳細
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 23:35 UTC 版)
「ベスラン学校占拠事件」の記事における「占拠グループの詳細」の解説
中学校を占拠した集団は全部で32人、うち2人が女だったとされ、彼らはイスラム原理主義過激派ジャマートのメンバーであると報じられた。事件勃発当初はチェチェン人のみと思われていたが、事件後まもなくタタール人、カザフ人などロシア・CISの他のムスリム(イスラム教徒)民族や、朝鮮人がいたという発表がなされた。ただし、朝鮮人についてはのちに、実はこれもCIS諸国のムスリム民族であるウズベク人だったと報道されている(詳細は韓国の反応の節を参照)。 また、さらにアラブ人、黒人1人などを含む多国籍の人間によって構成されていたという情報も流れた。これにより、国外のイスラム過激派グループ、国際テロ組織との関連も疑われている。しかし、チェチェン独立派の幹部のひとりは多くの外国人がいたとする説を否定しており、黒人とアラブ人の参加についても否定的な報道もある。 学校占拠直後、武装集団の中の男性1名、女性1名が[要出典]、子供への非人道的な扱いについてリーダーに異議を唱えたが、彼らはその日の夕方までに粛清された。 ヌルパシ・クラエフという犯人グループの1人が唯一生存して逮捕され、2006年5月16日に裁判で終身刑が宣告され現在服役中である。獄中で他の受刑者から危害を加えられる危険があるため、刑務所を管轄するロシア連邦刑執行庁は別名使用を認めているという。 FSB元中佐のアレクサンドル・リトビネンコは、ロシアのFSBが事前に陰謀を認識していたことは間違いなく、政府がテロに関する法律を強化し法執行機関の権限を拡大するためにこのテロを利用した可能性があると示唆した。彼の結論は、ベスランでの事件の直前に、ベスランを占拠した犯人が数名、FSBの拘留から解放されたという事実に基づいている。FSBに拘留された人間は、FSBに役立つ場合にのみ解放され、厳格な監視下に置かれていたはずだと述べた。
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