南北戦争、レコンストラクションおよびジム・クロウ法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/25 00:36 UTC 版)
「フロリダ州の歴史」の記事における「南北戦争、レコンストラクションおよびジム・クロウ法」の解説
1860年にエイブラハム・リンカーンが大統領に選ばれたことに続いて、フロリダ州は他の南部州と共にアメリカ合衆国から脱退した。脱退は1861年1月10日のことであり、1月足らずの間、独立した共和国であった。フロリダ州はアメリカ連合国を構成する一州になった。フロリダ州は南軍にとって重要な補給線であったので、北軍は州全体の海上封鎖に動いた。北軍はシーダーキー、ジャクソンビル、キー・ウェストおよびペンサコーラのような主要港を占領した。フロリダ州内では、ナチュラルブリッジの戦い、マリアナの戦い、およびゲインズビルの戦いなど多くの小競り合いが起こったが、大きな戦闘はレイクシティ近くであったオラスティーの戦いただ一つであった。 終戦後、アメリカ合衆国憲法修正条項の批准を含め、レコンストラクションの要求事項を満たした後で、フロリダ州は1868年7月25日にアメリカ合衆国への再加盟を認められた。しかしこのことでも州内の党派的政治権力抗争を終わらせなかった。 レコンストラクション後、白人特権階級の民主党員が権力の奪還を試み、これが1877年に成就するまで続いた。このことは、解放奴隷や彼らに与する者を標的にして白人の準軍隊集団が暴力を使い選挙権を制限することで一部成された。1885年から1889年、州議会は人民党との連携で白人民主党権力に脅威を与えていた黒人や貧乏白人の選挙権を減らす条項を含む法律を成立させた。黒人や貧乏白人が選挙権を剥奪されると、他の南部州もそうであったように白人民主党の一党独裁権力を築き上げた。 1900年時点で州内人口の44%は黒人であり、これは南北戦争前と同じ比率であったが、かれらは基本的に権利を剥奪されていた。選挙権が無いということは、陪審員を務めることができず、地方、州あるいは連邦の役職に選出されることもないことを意味していた。法の執行や公務員の役職に採用されることはなかった。白人民主党はジム・クロウ法を通し、公共の施設や輸送機関で人種差別を法制化した。60年以上にわたって、白人民主党が全人口に比例して割り振られているはずの議会の全議席を実質的に支配した。
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