南北戦争、レコンストラクションおよび権利の剥奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/24 00:25 UTC 版)
「ノースカロライナ州の歴史」の記事における「南北戦争、レコンストラクションおよび権利の剥奪」の解説
ノースカロライナ州はプランテーション経済の州として、長い間奴隷制が布かれてきた。植民地時代以来、有色の自由民であったバージニアのアフリカ系アメリカ人移民を多く受け入れてきてもいた。彼らは辺境の地に入植する傾向があり、隣人との関係もうまくいっていた。1835年までは、自由アフリカ系アメリカ人は州内で選挙権を持っていた。1860年の国勢調査で、629,942人の白人と361,544人の黒人がおり、黒人のうち約3万人が自由人であった。 問題を孕んだ1860年アメリカ合衆国大統領選挙で、ノースカロライナ州の選挙人は、頑固な奴隷制支持者であり、その「特有の制度」を合衆国の西部領土まで拡げることを望んだ南部民主党のジョン・ブレッキンリッジに投票した。ブレッキンリッジはアップランドサウスの多くを制した立憲連合党の候補者ジョン・ベルをノースカロライナ州では破った。 ブレッキンリッジが制した州の大半とは対照的に、ノースカロライナ州は共和党のエイブラハム・リンカーンが大統領選挙に勝利することが明らかになっても、合衆国から脱退することを躊躇していた。実際にノースカロライナ州は1861年5月20日まで脱退せず、サムター要塞の陥落と、アップランドサウスの先導者バージニア州の脱退に続くことになった。ノースカロライナ州はアメリカ連合国に加盟して合衆国を離れた11州の最後の州だった。 多くのノースカロライナ州市民、特に奴隷をほとんどあるいは全くもっていない自作農は連合国を支持しなかった。南北戦争中も徴兵忌避、逃亡および納税忌避が日常にあった。北軍が南部の港を封鎖し、連合国の輸送体系を壊したことで、戦中の悪性インフレが課したようにノースカロライナ州の住人には重い負荷になった。1863年春、ノースカロライナ州では(ジョージア州と同様に)食品価格の上昇に反対する暴動が起こった。
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