勝四郎の馬産理論
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育成手法の基礎となったのは、奥羽種馬牧場勤務時代に同牧場に滞在した今井平吉から教わった、当時のヨーロッパにおける最新の馬学理論であった。勝四郎は今井の理論をもとに独自の手法を構築して実践した。理論の根底にあったのは、厳しい自然環境の中にあってこそもともと野生の動物であった馬の力を引き出すことができるという思想であり、サラブレッドが高価であるからといって腫れ物に触るような扱いをせず、むしろ人為的に作りだした厳しい環境の中で積極的にハードなトレーニングを課して鍛えた。 競走馬の骨を丈夫にするためには爪を鍛えなければならないと考え、厩舎や放牧地の地面を固くした。爪を鍛えるため、東北牧場時代には放牧地に玉石を敷き、千明牧場時代には調教用のコースに砂利を敷き詰めたこともある。 勝四郎は若い頃からアルカリ性の土壌や水が競走馬の発育に良いという思いを抱いていた。1919年(大正8年)にアメリカ合衆国ケンタッキー州の牧場を訪れた際に、石灰岩の地層をもつにもかかわらずさらに土地に消石灰を撒いているのを見て、土壌改良のためには土地に石灰を撒くのが最良の方法であると確信した。 勝四郎は馬に与える草について、日中は日光に当てて乾燥させ、夜間は筵をかけて発酵させるという工程を2、3日間繰り返す独自の製法(勝四郎はこれを陽乾と名付けた)で味と匂いに変化を加え、馬に与えた。 繁殖牝馬について「牝馬はあくまでも牝馬らしい風姿がなくてはならない」とし、皮膚が薄く毛並みが繊細で、大き過ぎずしなやかな馬体を持った牝馬を好んだ。 勝四郎は若い頃から装蹄に携わり、晩年も自ら馬の爪の手入れをした。そのため馬の爪に関し深い洞察力を有し、小岩井農場の基礎輸入牝馬の流れを汲む競走馬については蹄の形を見ただけでどの馬の子孫か言い当てることができた。 勝四郎は馬の心拍数に注意を払った。朝運動をさせる前に測った心拍数を調教の程度やレース出走の目安にすべきとした。具体的には2歳の2月は38ないし39、5月は34ないし35が理想的で、秋になって30にまで減少すればレースに出走できるとした。
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