動物の権利と人間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:20 UTC 版)
動物の権利運動家の多くは、この運動が性差別や人種差別に反対する運動の延長線上にあると考えている。アメリカのハーバード大で心理学を教えているスティーブン・ピンカーは「動物の権利の承認は、動物に代わって物申す人間が共感と理性と他の権利革命からの刺激に突き動かされて進めてきた。」と述べている。 人権を守るために非暴力的な抗議行動を行ったことで歴史上有名なマハトマ・ガンディーは「国家の偉大さや道徳的な進化の度合いはその国が動物をどのように扱っているかで判断できる」、「私の心の内では子羊の命の貴重さは人間の命の貴重さにいささかも劣るものではない」とのべている。ジョージ・バーナード・ショーは、「人間が動物の殺害を繰り返す限り、この地上で戦争が消えることはない。」と述べ、レオ・トルストイは「屠殺場がなくならない限り、戦争もなくならない。」と述べている。 実際、人々が動物を食べない食事に切り替える理由のひとつは、本来なら他の人たちのために使うことのできる資源を家畜が消費してしまうからというものである。たとえば、まるまると太った牛を育てるために穀物を育てるかわりにその穀物を第三世界の子供たちに送ることができる。 日本の環境省は「命あるものである動物に対してやさしい眼差しを向けることができるような態度なくして、社会における生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養を図ることは困難である。」と指摘している。 また、権利を人間だけに限定しようとすることは、動物と同様に多くの人が権利を剥奪されることにつながるため、人権を弱め不安定にさせたり、人と動物を差別するほど移民の人間性を奪う傾向があり、種差別をなくしていくことは人間同士の平等を深化させるのに役立つという指摘がある。 社会通念上、動物に不必要な危害を加えてはならないとされているが、動物利用のほとんどは、単なる習慣・伝統・娯楽・快楽のために行われている。
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