創作に見る禰衡
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小説『三国志演義』では、『平原禰衡伝』の記述を膨らませ、曹操配下の者を軒並み舌鋒でなで切りにしている。また、第三者への台詞ではなく、曹操に呼ばれた場で、配下に対して直接批判する内容になっている。そこでは荀彧に加え(趙融の記述は削除されている)、「荀攸は墓守、程昱は門番、郭嘉は文章の読み上げ、張遼は太鼓叩き、許褚は牛馬の番人、楽進は詔の読み上げ、李典は書類の伝令、呂虔は刀鍛冶、満寵は酒粕喰らいが適任だ。于禁は左官屋、徐晃は屠殺業(肉屋)、夏侯惇は五体満足(なだけの)将軍(彼は隻眼だった)、曹子孝(曹仁)は銭取り太守(これは曹洪の誤りである)、あとの者はただ服を着て飯を食っているだけの連中だ」と罵り、曹操はもちろん、配下たちの怒りを買うことになる。そして、地位のある者には卑しいとされた太鼓叩きを命じられ、見事な腕前で人々を感動させる。そして着替えを命じられると「私の体は潔白だ、貴方のように汚れてはいない」とその場で素っ裸になり、悠々と着替えをして見せている。 その後、曹操に厄介払いとして劉表のところに追い出され、さらに黄祖の元へ左遷されるのは基本的に史実通り。黄祖は禰衡に「あなたは社の神だ。供え物や賽銭ばかりとって、他人には何の利益も与えていない」といわれ、激昂し斬り殺している。 また、曹操は禰衡の死を知り「変人らしい最期だ」と笑ったことになっている。 しかし「曹操を正面から罵倒した男」として中国では民衆の人気が高く、京劇では「打鼓罵曹(撃鼓罵曹とも)」の演目で、曹操に呼ばれた場面が上演されている。 明の徐渭の戯曲『狂鼓史』には死後天界へ上がって修文院舎人になったとある。修文院舎人とは天界の図書館長のようなもので、小説『平妖伝』ではこの話をタネに、如意宝冊を盗んだ罪で捕らえられた袁公が、色々と弁解するのを聞いて同情する役で登場するのだが、心の内でこう呟くシーンがある。「私が劉表から罪を得たのも、孫策への一通の手紙のためだ」この記述はもちろん三国志にはないし、孫策も無関係で、登場する理由も不明である。あるいは、劉表が孫策への手紙を禰衡に見せた逸話から派生したのかもしれない。
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