創作における顔良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:41 UTC 版)
小説『三国志演義』においては、白馬の戦いで曹操軍の宋憲・魏続を討ち取り、徐晃を撃退する。それに狼狽した曹操が関羽を繰り出すと、関羽は呂布の遺品であった赤兎馬を駆って突入し、顔良を反撃の間もなく討ち取っている。嘉靖本の注では、顔良は当時袁紹軍の客将だった劉備から、関羽の人相風体を聞かされており、もし出会ったなら、すぐに劉備の下に来るように伝えてほしいと頼まれている。このため関羽と距離が近づいても、話しかけようとするのみで応戦しようとしなかったため、斬り捨てられたことにされてしまっている。また文醜と兄弟同然の親友であり、義兄弟の契りを結んだという設定になっている。 清代の怪奇小説集である『閲微草堂筆記』には、顔良を祀った祠で三国劇を公演すると祟られるという話が記録されている。また中国全土にある関帝廟も、同地では顔良の祟りを怖れ建立されていないのだといわれている。
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