創作における松平忠敏
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松平忠敏は実際に剣を取って闘う剣豪タイプの人というよりは官僚的な旗本であり、後に新選組につながる浪士組に関わった経歴があるといっても、短期間で辞任しており、近藤勇らとの接点もほとんどない。しかし「柳剛流の使い手」「講武所の師範役」「新選組の前身である浪士組の取締役」という経歴から、後世には相当な腕の剣客としての虚名が広がるようになる。講武所自体、継ぐ家のない旗本の次男・三男など柄の良くない連中が集い、講武所風と呼ばれた刀の拵や髷の形などの新奇性が喧伝されたこともあり、その教授方・師範役であった主税助(忠敏)も、破天荒な剣豪としてのイメージが増幅されていく。また、その過程で主税助が徳川忠長の忘れ形見とされる松平長七郎の子孫であるという誤伝も生じた。 流泉小史(「剣豪」という語の生みの親)の書籍『幕末実説 剣豪秘聞』で、若き日の松平主税助らが、江戸で心形刀流の達人であった松浦静山(肥前平戸藩主)に懲らしめられて佩刀を奪われ、天保9年(1838年)の義士祭で静山が刀を返したという逸話を紹介しているが、上記のように主税助本人が天保13年に江戸に出たと記しており、静山はその前年の天保12年(1841年)に死去しているのでこの話はフィクションである。 大正・昭和期の時代小説などでは、松平主税助はまさに上記のイメージで扱われ、様々な作品に登場する。大佛次郎の小説『鞍馬天狗』シリーズの『御用盗異聞』では、主人公で勤王の志士である鞍馬天狗の宿敵として佐幕派の剣客「松平主税之介」が登場。吉川英治の小説『貝殻一平』(昭和4年(1929年) - 昭和5年(1930年)大阪朝日新聞連載)では「松平主税介」、司馬遼太郎の小説『奇妙なり八郎』(昭和38年(1963年))では「松平主税助」の名で登場し、いずれも松平長七郎の子孫とされた。 新選組を題材にしたNHK大河ドラマ『新選組!』(平成16年(2004年))では「松平主税助(のち上総介)」は、主人公の近藤勇の身分が低いことを軽蔑したり、浪士組の応募数のあまりの多さに卒倒するふりをして辞任し責任を逃れるなど、日和見がちで俗物的な小役人として描かれた。
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