前田利為による財団設立とは? わかりやすく解説

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前田利為による財団設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 06:11 UTC 版)

前田育徳会」の記事における「前田利為による財団設立」の解説

近代入り前田藩伝来品を公有化して永久保存しようとしたのは、16当主侯爵前田利為まえだとしなり、1885 - 1942であった前田家分家から本家養子として入った利為は、養父急死により、明治33年1900年)、数え年16時に家督継いだ。彼自身外交官になることを希望していたが、「前田家当主軍人となるべきだ」という周囲意見を容れ、陸軍大学校経て軍人となった。利為は昭和17年1942年4月ボルネオ守備軍司令官となるが、同年9月5日ボルネオ島カリマンタン島)沖で飛行機ごと消息を絶った。 旧大名家公家等に伝来した文化財は、第二次世界大戦後混乱期散逸したものが多いが、加賀前田家所蔵品尾張徳川家所蔵品とともに早くから公益法人化されていたため、散逸をまぬがれた。前田利為公益法人設立決意したのは、大正12年1923年)、関東大震災被害目の当たりしたことがきっかけであった震災当時前田侯爵家の屋敷東京市本郷区現・東京都文京区本郷)の東京帝国大学(現・東京大学キャンパス隣接して建っていた。関東大震災の時、前田家屋敷は難を逃れたが、先祖伝来家宝収蔵し土蔵危うく焼失するところであった。利為は加賀藩主家伝来の文化遺産保全のため、大正15年1926年)に公益法人育徳財団設立した法人は後に「侯爵前田家育徳財団」、さらに「前田育徳会」と名称を変えている。「育徳」の名は、前田家上屋敷にあった庭園「育徳園」に由来する前田家上屋敷の旧敷地東京大学本郷キャンパスとなっている)。 育徳財団設立数年後東京帝国大学キャンパス拡充計画に伴い前田家大学との間で土地交換が行われた。すなわち、前田家本郷引き払う代わりに現在の東京都目黒区駒場東京帝国大学農学部用地取得し、ここに邸宅建てた現在の目黒区駒場公園がその跡地で、公園内には昭和4年1929年竣工旧前田侯爵邸洋館と同5年1930年竣工和館現存し一般公開されている。前田育徳会本部尊経閣文庫)はこの駒場公園隣接している尊経閣文庫建物は、前田洋館設計者でもある宮内省内匠寮たくみりょう)の高橋貞太郎設計になる鉄筋コンクリート造で、昭和3年1928年)の竣工図書閲覧所事務所)、書庫貴重庫、門及び塀は国の重要文化財指定されている。

※この「前田利為による財団設立」の解説は、「前田育徳会」の解説の一部です。
「前田利為による財団設立」を含む「前田育徳会」の記事については、「前田育徳会」の概要を参照ください。

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