利用の減少と廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 15:01 UTC 版)
大阪臨港線においては石炭の扱いが多かったが、エネルギー革命の進展により減少していった。また、コンテナ輸送化にも対応しきれず、貨物自動車への貨物の転移が進展していった。こうした実情から、用地の有効活用を図るために臨港線は廃止の方向となった。 1982年(昭和57年)度末から、大阪港駅の突堤付近の留置線の撤去などが次第に進められた。1984年(昭和59年)2月1日に大阪港駅と大阪東港駅およびこれらと浪速駅を結ぶ路線が書類上廃止となり、これらは浪速駅の側線扱いとされた。大阪市では臨港鉄道の利用実態調査を行い、これに基づいて国鉄に対して大阪港駅の廃止の打診を1985年(昭和60年)1月に行い、1986年(昭和61年)2月にはこれを正式に申し入れた。そして11月1日に廃止となり、その状態のままで大阪市が引き渡しを受けて、設備の撤去を行った。 一方大阪東港線については、1986年夏に国鉄側から廃止の申し入れがあり、同様に1986年11月1日に廃止になった後、埠頭の公共臨港線や専用線については大阪市が引き渡しを受けて設備撤去を行ったが、本線については日本国有鉄道清算事業団に引き継がれて、施設の撤去後1988年(昭和63年)3月に用地が返還された。 その後も、浪速駅までの区間はしばらく営業を続けた。JR西日本向けのレール輸送、液体薬品の輸送などでしばらく利用されたが、2004年(平成16年)11月9日に運行休止となり、2006年(平成18年)4月1日付けで正式に廃止となった。
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